文春オンライン

特集観る将棋、読む将棋

「ひょえー!」藤井聡太名人が49分の長考で指した“イバラの道”の一手に控室では悲鳴が上がった

「ひょえー!」藤井聡太名人が49分の長考で指した“イバラの道”の一手に控室では悲鳴が上がった

プロが読み解く第82期名人戦七番勝負 #2-1

2024/05/08
note

 豊島将之九段が藤井聡太名人に挑戦する第82期名人戦(主催:朝日新聞社・毎日新聞社・日本将棋連盟)七番勝負第2局が、4月23日から24日にかけて千葉県成田市「成田山 新勝寺」で行われた。

 豊島は、第1局では後手番で意表の横歩取りを採用した。先手ではどんな戦型を選ぶかが注目だったが、選んだのは相掛かりだった。両端を突き合ってから、豊島はすぐに飛車先を交換する。今年1月、第82期A級順位戦の広瀬章人九段戦でしか指したことがない出だしだ。その対局では広瀬が△6四歩としたのに対し、右桂を跳ねていった。

 すぐに急戦になる可能性もある。序盤早々盤上に緊張感が走る。藤井は26分の考慮で、すぐに角道を開けた。今度は豊島が手を止め17分の考慮で角道を開けた。水面下の駆け引きが行われている。

ADVERTISEMENT

藤井聡太名人が1勝して迎えた名人戦第2局

43年振りに名人戦で「ひねり飛車」が登場

 この対局の1週間前に、今をときめく藤本渚五段が、小山怜央四段との対局で「塚田スペシャル」を採用し、超急戦で快勝していた。私は後日、藤本に話を聞いてみた。「(豊島にとって)塚田スペシャルが選択肢に入ってたと思うか?」と尋ねると、「△6四歩ではなかったときに豊島さんが手を止めていたので、もしかしたら、塚田スペシャルにする気があったのかもしれないと思いました」とのこと。

 そして藤井が飛車先を交換したのに対し、豊島は飛車をひとつ横に寄った。おっ、これはタテ歩取り型の「ひねり飛車」だ! 

 豊島はひねり飛車を指したことがなかったはず。この大舞台で初採用かあ……。

 名人戦でひねり飛車が登場するのはいつ以来だろう。ふと、私が中学生のころの記憶がよみがえってきた。慌ててデータベースで確認する。間違いない。43年前の第39期名人戦第2局と同じ戦型だ!

 1980年度、名人への挑戦権をかけ10人が争うリーグ戦には、大山康晴十五世名人、米長邦雄永世棋聖、加藤一二三九段など、そうそうたるメンバーがいた。そしてその中には、現在、名人戦を戦っている2人に関わる棋士もいた。藤井の師匠・杉本昌隆八段の、そのまた師匠である板谷進九段、当時40歳。豊島の師匠、桐山清澄九段、当時33歳。板谷の弟弟子で私の師匠である石田和雄九段もいる。桐山と石田は同い年のライバルで、25歳のときには第3期新人王戦決勝三番勝負で戦っている(2勝1敗で石田優勝)。