検討している継ぎ盤から棋士が離れ、さあ我々も一息つくか、というタイミングで藤井聡太名人が戻ってきた。前傾姿勢で考え込んでいる。まだ10分しか経っていないぞ、おにぎりには手を付けていないな。緊急事態だというのが藤井の対局態度でわかる。
休憩が明け、ついに挑戦者・豊島将之九段の反撃が始まった。飛車取りに左から桂を打ち、右から桂を跳ね、さらに7筋にいた角が大きくバウンドして1筋へ飛び出す。第1局に続いての三角飛びだ。さらに香を打って飛車を捕まえ、殴り合いに持ち込んだ。
地震が起きても動じない両者
藤井が飛車取りを無視して玉頭に手をつければ、豊島は美濃囲いの金銀をタダで取らせる。裸玉になるのもかまわず、その間に取り戻した飛車を後手陣へ金銀両取りで打ち込み、金をはぎとった。
検討室では佐藤和俊七段が後手陣に桂を放り込む妙手を発見していたが、藤井は玉を早逃げし、その手を防いだ。「さすがです」と声があがる。
ならばと豊島は自陣上部の桂を抜き、自玉隣に金を打って守った。両者ともパンチを繰り出しつつも守りを固め、実に辛抱強い。指し手からは「自分からは倒れない」という意志が伝わってくる。
馬を角と交換して盤上から消し、これで豊島玉は安寧を得た。となれば藤井もまた玉を早逃げかな、と皆で言っていたところ、藤井は持ち駒の銀をゲームチェンジャーとして盤上に送り出す。打った銀が桂を取り、さらに豊島の玉頭に迫った。この手は攻めの手に見えて、実は自玉の詰めろを消しにいっている。豊島もまた竜を1マス藤井玉に寄り、銀を入手する。
そんな中、地震が起き、かなり揺れた。しかし手番の藤井は微動だにしない。豊島も少し周りを見たものの慌てた様子はない。
ああ、あの日もそうだったな。3.11、東日本大震災の日、私は豊島と順位戦を戦っていた。豊島は第60期王将戦七番勝負に挑戦中で、スケジュールを調整してC級1組の一斉対局より一足早い最終局だった(そういえば記録係は当時初段の渡辺和史だった)。あの日、対局中の棋士はみな動揺していたが、豊島はまったく動じる様子を見せず、中断している間は自室で休んでいた(当時の連盟には宿泊室があった)。そして対局再開後、私は豊島の妙手に一太刀で倒された。今もし豊島の手番だったら、彼もまた微動だにしなかったのだろう。