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ムラ社会に生きる日本の「サラリーマン」 “気楽な稼業”がもはや成り立たないワケ

2020/12/15
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サラリーマンは気楽な職業

 私自身20年ほど大企業サラリーマンをやった。思い起こしてみれば、大企業でサラリーマンをやることほど「楽な職業」はない。よく公務員が一番気楽、と言われるが、公務員は税金をいただいて働く身分であるだけに、公僕としての使命感と市民から監視されている緊張感から逃れられない。ところが、大企業はあくまでも民間だ。民間だから倒産するリスクはつきまとうが、これが大企業であればあるほど、可能性はそれほど高いものではない。

 米国企業に勤務したこともあるが、米国の企業に就職すれば入社したその日からレイオフされるリスクを常に背中に背負い続けて仕事をすることになる。だから必死に働いて成果を上げようとする側面もあるが、精神的にはかなりのストレスだ。いっぽうで、自身で会社をたちあげて社員を雇う身となると痛感するのが、日本の労働法では社員は非常に守られているということだ。大企業になればよほどの不祥事、法律に違反するような行為でもしでかさない限り馘になることは稀だ。大企業ならばなおさら風評を恐れて、簡単には馘にしない。

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 だから、サラリーマンはお気楽なのである。では日本のサラリーマンの中で一体どれだけの人が、自らの仕事に誇りを持ち、業務の専門知識を磨くために勉強しているだろうか。会社が命じる資格試験や昇進試験のために勉強する人はいるが、自らが専門的な知見を広めるよう努力を続けている人はごく一部の方々だ。どちらかといえば、これは特に大企業サラリーマンに多い傾向のような気もするが、世の中や会社を斜に見て、評論ばかりしている人が多いように思われる。

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テレワークによって個人事業主化

 この時季、終電間際の通勤電車に乗ると、一杯ひっかけたサラリーマン風のおやじたちが、会社や上司、同僚の悪口を言い合っている姿をよく目にするが、その話のほとんどが批判や評論だ。その姿は私には、会社という村の掟を基準にどうだ、こうだと文句を言い合っているだけにしか見えない。

 ポスト・コロナ時代、私はこのいい意味でも悪い意味でも気楽な商売だったサラリーマンという職業は世の中からなくなっていくのではないかとみている。なぜなら中間管理職の多くが存在意義を失い、テレワークによって個人事業主化した個人と会社が、業務委託契約のような関係でつながるようになれば、会社の中の上下関係や社員同士の鍔迫り合いはあまり意味のある話ではなくなるからだ。

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 それぞれがプロ意識を持ち、自らのアビリティで仕事をするようになれば、嫌なら契約を解除して別の先と契約しなおすことができるようになるからだ。