文春オンライン

横浜の住宅街に日本屈指の“スーパーマーケット天国”が…「港北ニュータウン」の魅力を徹底ルポ!

2021/02/20
note
© iStock.com

 では、なぜ「港北ニュータウン」がこれほどまでの「スーパー天国」になったのでしょうか。

 その発端は1965年に横浜市の事業として始まった港北ニュータウン計画です。市営地下鉄が開通し、1993年に「センター北駅」「センター南駅」が開業すると周辺地域に“少しずつ”スーパーが増えていった際に、出店の口火を切ったスーパーが「オーケー」であったことが、その後の港北ニュータウンの繁栄と多くのスーパーの出店に大きな影響を与えたと考えられます。

出店の口火を切った「オーケー」

 1993年11月開業の「オーケー 港北店」の土地は、1986年に民活第1号として商業用地を取得したと前述しましたが、その売り場面積は 6380.17㎡(1930坪)と現在でもオーケーの店舗の中で最大級の規模。

ADVERTISEMENT

「オーケー港北中央店」入り口

 もちろん将来の港北ニュータウンの人口増加を見込んでの出店でしたが、「高品質・Everyday Low Price」で駐車場完備の大規模店舗がニュータウンにできたことで、港北ニュータウンのある都筑区はもちろん、市内および遠方からのファン獲得に成功。知名度も高まり、今回ご紹介した「オーケー 港北中央店」の出店へとつながりました。出店するやいなや人気店になったことは言うまでもありません。

 オーケーはその後も成長し続け、「業界屈指の優良企業」とまで言われるほど、1店舗当たりの平均売り上げが高い企業となりましたが、じつは近年その後ろを追っているスーパーがあります。

 その正体は「ロピア」 。『激流』(国際商業出版)2020年10月号によると、ロピアの経営を盤石なものにしたのが、前述の「港北TOKYU S.C.」への出店だといいます。同店は、「おばけ店舗」と呼ばれるほどの異常な売上高を誇る店となり、近年では近畿地方への出店も叶えるほどの発展を遂げました。

 つまり、日本のディスカウントスーパーの最も熱いトップ2が、センター北駅と南駅の1km弱のエリア内で競い合いながら街が発展してきたというわけです。

街に華を添える私鉄系スーパー

 その一方で、各私鉄が乗り入れる主要駅にアクセスする、横浜市営地下鉄ブルーラインとグリーンラインが交わるセンター北駅とセンター南駅に「そうてつローゼン」、「東急ストア」、「港北TOKYU.S.C.」といった私鉄系スーパーがあることも港北ニュータウンを「スーパー天国」たらしめる大きな理由。

 駅近という利便性が私鉄系スーパー人気のポイントではありますが、それだけではなく、こうしたスーパーの存在が人々の生活をより豊かなものにしていることも港北ニュータウンの「スーパー天国」ぶりに貢献しているといえるでしょう。市が計画したニュータウン開発でありながら、「たまプラーザ」や「二子玉川」のような私鉄系の街の佇まいを醸しているのです。

 冒頭で紹介した「多摩ニュータウン」とは違い、港北ニュータウンを含む都筑区は住民の平均年齢が横浜市内で最も若い42.1歳(令和2年1月1日「横浜市人口ニュース」による)という土地柄。

 今、生活しているファミリーも年を重ね世代交代が始まれば、街はさらに変わっていきます。スーパーの出店や撤退を知ることは、街の歴史を見つめること。まずは、次にどこにどんなスーパーがやってくるのか知り、未来の街を想像してみるのも楽しそうです。

※お出かけの際はじゅうぶんな感染予防対策をとり、お楽しみください。また、施設によって滞在時間や人数の制限があります。

※記事中の価格は税別価格で取材時のものです。また紹介した商品は常時取り扱いがあるとは限りません。

【参考資料】

『激流』(国際商業出版)2020年10月号 特集「食品DS 2強の頂上決戦 オーケーVSロピア」(著:石橋忠子/ジャーナリスト)

横浜の住宅街に日本屈指の“スーパーマーケット天国”が…「港北ニュータウン」の魅力を徹底ルポ!

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー