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「神風をよぶために十死零生の特攻が考えだされ、作戦命令として強制化…」 半藤一利が語る、やりきれない“狂気”の時代

『歴史探偵 忘れ残りの記』より#2

2021/07/24

source : 文春新書

genre : ライフ, 歴史, 読書, ライフスタイル, 社会

note

 と書いてきて、ここから勝手な想像をさらにふくらませれば、元寇のころには「神風」は、実は上のような伊勢の枕ことばでしかなかったのである。せいぜい広げても伊勢の方から吹く風であったのではあるまいか。であるから、皇室の祖神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)の吹かせ給う風」などという言葉はだれもが思いつかなかった。

吹く風に罪はない

 しかし、のちの人がよくよく調べたら、この国難に際して朝廷が伊勢の大神に必勝を勅願し、また勝利のあとに神恩を謝し内宮(ないくう)の摂社風神社(ふうじんのやしろ)を別宮風日祈宮(べつぐうかざひのみのみや)に昇格させている、という事実を知った。こうなると伊勢の神風は枕ことばを離れて、がぜん重要な意味をもつようになった。そこからさらなる作意が始まるのである。

 あとは端折(はしょ)る。その結果、昭和の日本は神国となり、太平洋戦争末期には元寇の神風がさかんにもちだされた。B29の空襲下で「最後にはかならず神風が吹く」と信じられ、その神風をよぶために十死零生の特攻が考えだされ、作戦命令として強制化されていく。何ともやりきれぬ狂気の時代。そして戦後は「神風タクシー」とカリカチュアされ、さげすまれたこともまだ記憶に新しい。いったい日本人の精神構造はどうなっているのか。少なくとも吹く風に罪はないのであるが。

©️文藝春秋

歴史探偵 忘れ残りの記 (文春新書 1299)

半藤 一利

文藝春秋

2021年2月19日 発売

「神風をよぶために十死零生の特攻が考えだされ、作戦命令として強制化…」 半藤一利が語る、やりきれない“狂気”の時代

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