昭和史研究の第一人者であり、『日本のいちばん長い日』や『ノモンハンの夏』などの著作でも知られる作家の半藤一利さんが、1月12日、東京都世田谷区の自宅で亡くなりました。90歳でした。

 

「文春オンライン」では、戦後74年を迎えた2019年夏に、半藤さんの“原点”に迫るインタビューを行っていました。少年時代に東京大空襲を経験し、火の海となった町を前に、半藤さんは何を思ったのか――。当時の記事を再公開します。(初公開:2019年8月15日。記事中の肩書・年齢等は掲載時のまま)

「歴史探偵」として、日本近現代史を見つめ続けてきた作家・半藤一利氏は、昨年、当時の天皇陛下の侍従から依頼を受け、悠仁さまに講義を行った。テーマは「太平洋戦争はなぜ起こったのか?」。半藤氏が2時間半にわたり悠仁さまの“家庭教師”を担ったその日は、奇しくも8月15日だったという。

 そして今年も8月15日を迎えた。戦後74年というタイミングで、私たちは半藤氏に「自身の戦争体験」について語ってもらうことにした。のちに太平洋戦争研究の第一人者となる半藤氏も、開戦時は11歳の小学5年生。東京の下町に住む“半藤少年”の目に、あの戦争はどう映っていたのか――。

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取材・構成=稲泉連

(全3回の1回目/#2#3へ続く)

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 私はこれまで長いあいだ、日本の戦争の歴史についての本をたくさん書いてきました。そのなかで骨身に染みていることがあります。それは、歴史を語るというのは本当に難しいことなんだな、という思いです。

 例えば、日本が太平洋戦争に至る道を語るとき、「この歴史がいちばん正しいんだ」と自分が言い切ってよいのだろうか――? あらためてそう胸に問うと、いや、とても言い切ることはできない、という気持ちになるのです。

 

自分の体験であれば迷いなく喋ることができる

 昔であれば、そんなときは当事者を探し、実際のところがどうだったのかを、取材して確かめようとすることもできました。しかし、戦争の体験者のほとんどが亡くなった今では、それもかないません。すると、歴史とは残された史料などを頼りに、一人ひとりが解釈するしかない。書き残されたものはどうにでも解釈できてしまいますから、たとえ嘘八百を書いても通用してしまいかねないわけです。

 ただ、一方で自分が実際にした体験であれば、私も迷いなく喋ることができます。それは自分の体験ですから、まさにその通りだった、と私自身が信じられるからです。今日、これから話すことも、そんな私の気持ちを前提に聞いていただければと思うのです。

 

ラジオから聞こえてきた開戦のニュース

 さて、私が日本とアメリカの戦争が始まると知ったのは、昭和16(1941)年の12月8日の朝のことでした。

 昭和5年に東京向島区吾嬬町(現墨田区八広)で生まれた私は当時、小学5年生。朝、目覚めて、ラジオで7時のニュースを聞こうとしたら、ポーンという時報と同時にアナウンサーが、

「しばらくお待ちください」

 と、言いました。

 あれ? ニュースで「お待ちください」なんて初めてだなァ、と思っていると、

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

 アナウンサーのいかにも興奮した口調は今でも忘れません。子供心にも緊張が伝わってきて、父親に「日本は勝てるの?」と聞いたのを覚えています。すると、父は黙ったまま何も答えず、厳しい表情を浮かべていました。