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5歳でギャルに目覚め、9歳でタイに…異国で1人ギャルを続けた女性が、電気電子工学科に入学したワケ「どうすれば盛れるかだけを考えて…」

ギャル電インタビュー#1

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――タイで周りの友達から何か言われたりしたんですか?

まお 「バービーギャル」って言われてました。「I’m a Barbie girl~」っていう曲がタイで流行ってたんですけど、タイの人から見たらギャルってバービー人形みたいらしくて。「お前バービーギャルじゃん」って言われてました(笑)。女の子たちからは「私にもちょっとメイクしてよ」とか、「私にもそのメイク教えて」と言われて、メイク遊びとかをしていましたね。そんな感じでギャルを極めていきました。

電子工作はギャルメイクと同じ感覚

――そしてお2人が出会ってギャル電を組んだということですね。

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きょうこ そうですね、「ギャル電」と名乗ってやってます。

 

――ギャルと電子工作ってあまり結びつかないような気もするんですが、お2人が電子工作と出会われたきっかけはなんでしょうか?

まお 私は高校を卒業してタイから日本に戻って、大学で工学部の電気電子工学科に入りました。手に職をと思って。タイに住んでいたときに、日本の家電が多く売られているのを見て、高校生の頃からこの分野を学ぶのは良さそうだなと思っていたんです。

 大学の授業で電子工作と出会いました。ロボットを作ったりしている中で、配線とか、回路作りがすごく楽しいなと思い始めて。

 

 まさにギャルがメイクを研究するときの感覚と同じで、自分の思い通りに配線していって、それで作った電子工作をアクセサリーみたいにつけていくと盛れるんですよね。他に面白い作例はないかなって海外ブログを漁っていました。海外には光る電子工作を作ってる方々が結構いたんです。それを真似して作り始めたのが原点ですね。

 電子工作を始めたての時は、友達とクラブに行く前に、全身光らせようとかいって、夜7時頃から電子工作し始めたんですけど、全然できなくて、結局完成したのが朝の5時とかで(笑)。クラブ閉まってるじゃん、みたいな。でもそのくらい夢中になって作っていたんです。

 

きょうこ クラブのためにやったのに(笑)。

まお そう、最初は全然うまくなかったです。配線しても間違っちゃうし。ほんと手探り状態でした。イケてる光り方のプログラムをいちから組むのはめちゃくちゃ難しいので、ソースコードを探して、コピペしたり(笑)。とにかく毎日海外の電子工作のブログを読んでいました。