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高校生でホームレス→大学受験は「予備校のゴミ」で… “勝ち組”転身ベンチャー社長が語る「親ガチャ論」と「幸福観」

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 ホームレスになったことは学校にも周囲にも極力、話さないようにしていました。ちょうど高校進学前だったこともあり、「こういう状況がバレると普通の高校生活は送れないんじゃないか」という思いがあって…。当時はまだ「高校生」という立場に未練があり、社会と接点がなくなることにも不安がありましたから。

弟と公園でホームレス生活へ

――高校生でホームレス…。若いので珍しがられることもあったと思います。

大薮 確かに公園では浮いていましたね(笑)。先輩ホームレスには目をかけてもらい、雨風のしのぎ方とか、「自分はどうしてホームレスになった」とか、「こういうヤツには気をつけろ」とか、いろいろ教えてもらいました。1回、見よう見まねでビニールシートと段ボールで家を作ったんです。でも、1週間ぐらいで倒れてしまって。同じ公園に住むおじいさんに教えてもらって、建て直しました。弟と足を伸ばして寝られる最低限の広さはありましたね。

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 公園には、40歳でリーマンショックの余波でリストラされて、離婚してホームレスになったという人もいました。自分もそうでしたけど、普通の人がいつホームレスになってもおかしくない。もちろん自己責任の“どうしようもない人”もいるんですけど、「やむをえない事情でホームレスになる人もいるんだ」とその時に知りました。

©️文藝春秋

「コスプレ衣装のせどり」で生活費を工面

――ホームレスになってから、食事やお金の工面はどうしていたのでしょうか。

大薮 食事はファストフード店で捨てられるパンを漁っていました。コンビニのゴミは食べかけが多いんですが、ファストフード店は袋に詰められた新品が捨てられていたんです。ただ、半年も経つと飽きてきて、さすがに他のものも食べたくなります。高校の学費も払わなければいけません。とにかくお金が必要になってきたんです。

©️文藝春秋

 最初はアルバイトを探しましたが、どう計算しても学校に通いながらでは十分な金額にならない。給料も翌月末払いのところが多く、すぐに立ち行かなくなるとわかりました。そこで目を付けたのが、制服やメイド服の「コスプレ衣装のせどり」でした。ゲームセンターがプリクラで制服を貸すサービスをしていたのを見て、「需要はあるだろう」と思いました。そこで、名古屋の大須観音で弟と一緒に衣装を売り始めました。ネットで仕入れて、配送センターで直接受け取って売り、1着5000円ぐらいは儲けていました。

 そのうち売り場をネットに移しました。「ネットで仕入れて、そのままネットで売ればいい」と考えたんです。ネットカフェのパソコンで売買を始めました。資金がなかったので大規模な商売はできませんでしたが、資産がなくても“仕組み”だけで稼げることが分かって、今の仕事にもつながる学びがありました。