私は、1年ほど前から月に1、2回ペースで、カウンセリングを受けている。長年、精神科に通院して投薬治療を受けていたのだけれど、もう対症療法では追いつかないほど症状が悪化してしまった。自分のなかにある生きづらさのせいで、いよいよ本当に生きるのが辛くなり、知人のすすめもあって、藁にもすがる思いで、カウンセリング治療に行き着いたというわけだ。(全2回の2回め/前編を読む)

「見捨てられスキーマ」へのアプローチ

 私がスキーマ療法において具体的にどのような治療を受けたのか、ひとつ例に挙げて書いておきたい。私の中にある「見捨てられスキーマ」について治療が行われたのは、3回目のカウンセリングの日だった。1、2回目は今後進めていく治療についての説明を受け、スキーマ療法には欠かせない「マインドフルネス」の練習を行なった。

 マインドフルネスとは、いわゆる瞑想のようなもの。楽な姿勢で椅子に腰掛け、目を閉じて(もしくは薄目)ひたすら「呼吸」に集中し、雑念を取り払ったり心を落ち着けたりする目的で行われている。スキーマ療法を行う際は、必ず最初と最後にこのマインドフルネスを行い、今自分が「安全な場所にいる」ことを確かめることが重要なのだという。

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 この日、マインドフルネスを行なってから、心理士から「あなたが現在『他者から見捨てられるのではないか』と感じるのはどのような瞬間ですか」と尋ねられた。私は長年、自分が大切に思っている人、例えば古くからの親友やパートナーが自分のもとから去っていくのではないか、という不安と常に闘っている。相手から嫌われるのが恐ろしくてたまらないので、常に顔色をうかがい、相手が少しでも不機嫌に見えるときは「怒っていないかどうか」を執拗に気にしてしまう癖がある。

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 この悲しい習性には私の育った環境が大きく関係していて、幼少期の私は常に「母親に見捨てられること」に強い不安を覚えていた。父がネグレクトで家庭に関わらず、一つ年上の兄は私のことをいつも虐めていたので、私にとっての家族は母親のみであり、唯一無二の存在だった。

 しかし母親は精神的に不安定で、少しでも機嫌を損ねたり余裕がなかったりすると、容赦なく私を怒鳴り、叩いた。4歳くらいのころ、手を滑らせてコップに入った飲み物をこぼしてしまったとき、思い切りビンタを食らったことがある。基本的には優しい人だったと思うけれど、ひどく感情的な人なので、いつスイッチが入るかわからない。子どもだった私にとってそれは心理的な安全を大きく脅かすもので、「いつ母親に見捨てられるかわからない」「母親がいなくなったら生きていけない」といった思考にとらわれることになってしまったわけだ。

幼い自分に話しかけてみる

 治療に際して、心理士から「見捨てられるかもしれない、という不安の感情を呼び戻しながら、その感情を抱いたもっとも古い記憶を教えてください」と促されて咄嗟に浮かんだイメージは、真っ白な部屋で泣いている、5歳か6歳くらいの自分の姿だった。

 そう伝えると、今度は「では、現在の吉川さんが、当時の吉川さんに『どうしたの?』と話しかけてみましょうか。できそうですか?」と提案された。再び「やってみます」と答えはするものの、これが思うようにうまくいかない。

 どうしたの、と声をかけると子どもの自分は強い警戒心を示し、こちらをチラリとも見ないまま、膝を抱えてさらに小さくなってしまった。私が説明すると、心理士は「そうですか」と少し考え、再度「では、今度は『お姉さんはあなたの味方だよ。どうして泣いているのか心配しているんだよ』と話しかけてみましょうか」と私に促した。

 そうすると、子どもの私は、走って逃げて行ってしまった。