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《日本中が“ハッスル”した日》「17万人が殺気立っていた」銀メダリスト小川直也が見た“名馬オグリキャップと武豊の奇跡”「1990年有馬記念の伝説」

2021/12/23
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巡回しようにもあまりにもの人で動くことができなかった

 そんな状況のスタンドを巡回するのが小川さんたちの仕事だった。

「上司に連れられて各階をまわるんですけど、なにか揉め事があったらすぐに駆けつけないといけないので、あの日は、休む間もなかったですね。それでも最後の最後は『レース中に騒ぎをおこす人はいないだろうから、レースを見ちゃおうか』となって(笑)。ほんとうは巡回してないといけないんですが、回ろうにも動けない。パドックとかゴール前には朝から人が並んでいて、『トイレはどうしてるんですかね』というような話もしてました」

 小川さんたちは記者クラブの部屋がある最上階のゴンドラ席まであがってレースを見ることにした。見下ろすと1階の立ち見席は人の波がうねっていた。

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「ちょっと覗いたら、これはすごいなと。あんなに大勢の人が歩いているのを見たことはないですね」

みんなが絶対に無理だと思うなかで、最後に先頭で走り抜けた

 この年、オグリキャップは不振に喘いでいた。安田記念のあと宝塚記念2着、そのあとの故障の影響もあって天皇賞(秋)は6着、ジャパンカップは11着と屈辱的な惨敗を喫していた。それでも有馬記念は4番人気に支持されていたが、ファンもマスコミも、おそらく馬券を買った人でも、勝てると思っていた人は少数派だ。小川さんも思いはおなじだった。

「ぼくも、勝ってほしいと思いながら、もしかしたら勝てるかもしれないというのは10%ぐらいでした。だから、あのときの感動はいまでも思いだすんですけど、みんなが絶対に無理だと思うなかで、最後に先頭で走り抜けた。その姿に痺れましたね」

オグリキャップが奇跡の復活を果たし、有終の美を飾った ©️文藝春秋

 JRA職員として業務中だった小川さんに、あのゴール前、声が出たかどうかたずねると、「出しましたよ!」と即答した。

「もう、勝ったときは、上司と抱き合って喜んでいました(笑)。ただ、ぼくらは職員ですから、ああいうドラマがあると、競馬っていいもんだなと思って、またお客さんが増えてくれるだろうな、という目でも見てました」