デビュー当初から天才的な騎乗センスを見せ、若きエースとして競馬ファンからの絶大な信頼を得ていた武豊騎手。そのセンスは抜群で、初年度から「重賞(特別競走の中でも特に賞金が高額で、重要な意義をもつレース)」も制していた彼だったが、「日本ダービー」の勝利にはなかなか縁がなかった。

 ここでは、競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共編著『競馬伝説の名勝負 1995-1999 90年代後半戦』(星海社)の一部を抜粋。武豊騎手に「ダービージョッキー」という栄冠をもたらした名馬スペシャルウィークについて紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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ダービーで勝てない「若きエース」

 サッカー元日本代表の本田圭佑選手は、とある試合後インタビューで「ゴールはケチャップみたいなもの。出るときはドバドバ出る」と答えた。一方で競馬は、大きなトラブルや不幸が起きない限り、全ての馬がレースの度にゴールする。どう走っても、どんな着順でもゴール。シュートを打ち続ける必要はない。しかし、競馬にも「決定打」は存在する。それは勿論1着という結果ではあるのだが――その中でも特別な1勝がある。それが、ダービーでの勝利だ。ダービーを先頭でゴールした騎手は「ダービージョッキー」と称えられ、勝たなければ他でいくら優秀な戦績を残そうともその称号を得ることは叶わない。

若かりし頃の武豊騎手 ©文藝春秋

 1998年当時、既に競馬界の「若きエース」として君臨していた武豊騎手は、圧倒的な実績を残しながらも、不思議とダービーで負け続けていた。90年ハクタイセイで5着、93年ナリタタイシンで3着、96年ダンスインザダークで2着。フジノマッケンオーやランニングゲイルでも掲示板に食い込みながら、栄冠には届かない。ファンの間では「武豊はダービーを勝てない」という不名誉なジンクスも囁かれた。