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何度も繰り返された力強いガッツポーズ

 しかしそれでも、29歳の武豊騎手は追い続けた。広がるリードも気にせず、スペシャルウィークとともに、必死にゴールを目指したのである。ゴールまで確定することはない「ダービージョッキー」「ダービー馬」の称号のために。後方で2着争いが繰り広げられる中で、スペシャルウィークは5馬身差の勝利を収めた。圧勝、完勝だった。上がりは、2番手ボールドエンペラーの36秒1に対し、スペシャルウィークは35秒3。必要以上の末脚だったことは、着差やタイムから明らかである。あのクールな若者が最後まで追い続けた姿は、ダービーという決定打がいかに絶対的なものなのかを如実に物語っていた。何度も繰り返された力強いガッツポーズが、観衆の目に焼き付いた。

 その後、スペシャルウィークは引退までの間に7度GⅠに挑戦する。天皇賞の春秋制覇、ジャパンCでも勝利するなど世代を代表する活躍を見せた。しかし一方で、菊花賞ではセイウンスカイに、一度目のジャパンCではエルコンドルパサーに、宝塚記念・有馬記念ではグラスワンダーに敗れた。上記3頭は、いずれも同期生だった。

 当時は外国産馬がダービーに出られない時代である。凱旋門賞で2着となったエルコンドルパサーも、グランプリ3勝馬グラスワンダーも、英仏GⅠ馬アグネスワールドも快速馬マイネルラヴも、ダービーへの出走権を有していなかった。現行のルールであれば、上記の馬たちはダービーに出走可能であり、展開は変わっていただろう。また、今ではダービー3勝騎手である福永騎手が現在の冷静沈着さをもって騎乗していれば、キングヘイローが勝たずともレースの流れは違ったはずだ。運命が天才に微笑みかけたのかもしれない。

第120回天皇賞を制したスペシャルウィークと武豊騎手 ©文藝春秋

 武豊騎手は、それまでの鬱憤を晴らすかのように、それからダービーを連勝。さらにディープインパクト、キズナで親子によるダービー制覇も達成した。今では日本競馬史上最多のダービー5勝を挙げた「ダービー男」となっている。前人未到の大記録だ。天才にとってこのゴールは、きっかけさえ摑めばドバドバと出るものだったのだろう。その決定的瞬間――まるでケチャップが出始めたかのような記念すべき一戦が、この98年日本ダービーである。

(執筆・緒方きしん)

【前編を読む】《競馬史に刻まれた名レース》並ぶ、差す、並ぶ、差し返す… いま振り返る“シャドーロールの怪物” の神々しい姿

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