競馬ファンが1番人気に推したスペシャルウィークと武豊騎手
今になって考えると当時29歳だった若武者に対して、騎手人生のうちの最初の数年間敗れただけで、まるで「シュートを外し続けている」というような表現をするのも酷な話である。しかし、88年に史上最年少でクラシック制覇(菊花賞)をして以来、天皇賞の春秋制覇、93年クラシック三連勝(桜花賞・皐月賞・オークス)、JRA所属騎手として初の海外GⅠ制覇など数々の記録を打ち立ててきたスターに対して、世間の期待値はあまりにも高かった。
そして迎えた98年クラシック。当時のクラシック戦線は「三強」で盛り上がっていた。スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイローの3頭である。その3頭は皐月賞の前哨戦・弥生賞で早くも激突すると、1着スペシャルウィーク、2着セイウンスカイ、3着キングヘイローの順で決着。武豊騎手の相棒は、その弥生賞の覇者スペシャルウィークであった。クラシック一冠目の皐月賞でスペシャルウィーク は1・8倍の1番人気に推されたものの、結果は3着。横山典弘騎手・セイウンスカイの積極策に敗れた形となった。しかし、迎えたダービーで、競馬ファンはスペシャルウィークと武豊騎手を再び1番人気に推した。
それは期待か、信頼か、欲望か――さまざまなファンの思いが交錯する中、優駿18頭がダービーのゲートに入った。
レースが始まると、デビュー3年目の福永祐一騎手とキングヘイローが飛び出す。彼らにとっては明らかなオーバーペースで、彼の若さが出た騎乗だった。それに連れられるように、セイウンスカイも好位につける。皐月賞を2番手から制した同コンビは、その再現をすべく2番手を追走した。武豊騎手とスペシャルウィークは中団やや後方で待機。直線での勝負にかけた騎乗。府中の直線は長い。必ず届くという思いが伝わってくる。
直線に入ると、早くもキングヘイローが沈み、セイウンスカイが先頭に立つ。しかしその後方からスペシャルウィークが強襲すると、並ぶ間もなく独走態勢となった。すでに直線半ばで、セーフティリードを保っていた。
2番手に追い込んできたボールドエンペラーも、その末脚に全く追いつきそうにない。