メジロマックイーン、トウカイテイオー、ミホノブルボン、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン……。1990年代前半は伝説級の名馬が続々と現れ、多くの人々が人馬の紡ぐドラマに熱狂した。
競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共著『競馬伝説の名勝負』(星海社)は、そんな競馬がもっとも熱かった時代の名勝負がまとめられた一冊だ。ここでは同書の一部を抜粋。1994年時の“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンと南井騎手のエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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JRA関係者がNHK紅白歌合戦のゲスト審査員に
大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」では、その年に活躍をした芸能人やスポーツ選手、作家などがゲスト審査員に選ばれる。プロ野球選手やサッカー選手、大相撲の横綱、大河ドラマの主人公、五輪メダリスト、ノーベル賞受賞者など毎年豪華な顔ぶれだ。
70年以上続く同番組においてJRA関係者が審査員となったのはわずか1人だけ。1994年の南井克巳(現調教師)である(地方競馬関係者は71年に水沢競馬所属の女性騎手・高橋優子が選ばれている)。
生放送の数日前、4歳で有馬記念を制したナリタブライアンの鞍上の南井は、司会の和田アキ子から「馬券取らせてもらいました」と舞台上から御礼を述べられたほど、この年のナリタブライアンは競馬を一般社会に知らしめた。
93年5月、ナリタブライアンの調教に騎乗した南井は「今まで乗った馬とは違う」という印象を抱いた。調教で追い出した瞬間の加速度がケタ違いで、その感触はオグリキャップを思い出させ、南井にダービー制覇を意識させた。
きっかけは大久保正陽師からの「ダービーを勝ってくれ」の一言
デビュー3年目の73年にリーディング5位となる46 勝を挙げた南井だが、GⅠ級レースは88年春の天皇賞(タマモクロス)が初勝利。その後オグリキャップでマイルCSを、バンブービギンで菊花賞を、ハクタイセイで皐月賞を制するなど「遅咲きの大器」と呼ばれたが、それまで日本ダービーは8回騎乗してロングアーチ(90年)の6着が最高成績。是が非でも手にしたい栄光は、ナリタブライアンを管理する大久保正陽師からの「ダービーを勝ってくれ」の一言がきっかけだった。南井が日頃から語っていた「いい出会い」(競馬界は腕に加えて馬や人との出会いが必須という意)がもたらしたのだ。