昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

 8月函館のデビュー戦を2着後、折り返しの新馬戦(注:以前は開催1・2週目に使った馬が3・4週目に再出走するなど、新馬戦敗戦馬が同じ開催中の新馬戦に出走できた)を勝つも函館3歳Sを6着と敗れた。前評判とは裏腹なレース内容から気性面の課題が浮き彫りになる。レース中、自分の影に驚いてしまいレースに集中できなかった。デビュー6戦目の京都3歳Sで初めてシャドーロール(下部の視界を遮る目的で競走馬の目の下に装着する馬具)を装着すると、それまでとは異なる圧勝劇。これが「シャドーロールの怪物」の始まりだった。

皐月賞をレコードタイムで制覇

 続く朝日杯3歳Sを制したナリタブライアンは共同通信杯とスプリングSを連勝。それまで先行策だった同馬はスプリングSを後方から捲まくる競馬で制した。今では過密と言われかねないローテだが、興奮しやすい性質のため陣営はガス抜きをしていた。加えて直線の長い東京コースの日本ダービーを意識した騎乗でもあった。

 断然人気で迎えた皐月賞も1分59秒0のレコードタイムで制覇。ついにダービーを迎える。

第61回日本ダービーでのナリタブライアン ©文藝春秋

「距離ロスをしても勝てる自信があった」

 単勝1.2倍の断然人気に支持されたナリタブライアンは道中を6番手で進んだ。ハナを切ったメルシーステージが刻んだラップは前半1000m60秒ジャストのミドルペース。先行しながら4コーナーで大外を回ると、直線で一瞬外にヨレながらも後続をグングンと突き放しゴールイン。終わってみればメンバー中最速となる上がり3F36秒2の脚を使い、2着エアダブリンにつけた着差はなんと5馬身。後に南井は「距離ロスをしても勝てる自信があった」と、豪快なレースぶりを振り返っている。

 ファンの期待は史上5頭目の三冠馬誕生に注がれたが、単勝100円戻しの支持を受けた秋初戦の京都新聞杯ではまさかの2着。夏負けにより体調を崩したことで調整に遅れが生じていた。同時期、半兄のビワハヤヒデは宝塚記念でGⅠ3勝目を挙げていたが、菊花賞の1週前に行われた秋の天皇賞で5着に敗れデビュー16戦目で初めて連対を外し、引退を余儀なくされた。

z