64歳の現在も現役ジョッキーとして第一線で活躍を続ける“大井の帝王”的場文男騎手。地方競馬最高齢重賞勝利記録、地方競馬通算最多勝記録、JRA最年長騎乗記録など、数々の偉大な記録を打ち立て続ける男が語る「印象に残っているレース・馬」とは……。
競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共著『競馬伝説の名勝負』(星海社)の一部を抜粋し、的場騎手の貴重な言葉を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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世界との差を痛感したジャパンC
「平成に入った頃のジャパンCといえば、外国馬の活躍がすごかったね。もちろん昭和にもカツラギエースやシンボリルドルフが勝っていたけど、カツラギエースが勝った時は正直まぐれだと思っていたしね…。そんな時代に、僕も何度かジャパンCに挑戦したんだよ」
大井の帝王として親しまれる鉄人・的場文男騎手(64歳)は、当時の外国馬VS日本馬の関係性をそう振り返る。的場騎手のジャパンC挑戦は、1987年ガルダン(13着)、90年ジョージモナーク(15着)、93年ハシルショウグン(16着)の3回。そのうち最初の2回は外国馬によるワンツー、93年こそレガシーワールドが意地を見せたものの、2着はやはり外国馬だった。
「パドックだと日本馬の方がよく見えていたんだよね。むしろ外国馬を見て『こんな馬には負けられない!』って思ったほど。でも競馬が始まると、めちゃくちゃ強い。搭載されているエンジンが違ったんだろうな…。それは血統の差なんだと思った。まだ当時は日本競馬の血統レベルもそれほどではなかったからね。世界との差を痛感したジャパンCだった」
中央の強豪を撃破しての帝王賞制覇
的場騎手のジャパンC挑戦は、3度とも中央重賞であるオールカマーで2着と好走してからのもの。そうした実力ある馬に騎乗していただけに、その衝撃は大きかったのだろう。確かに、1度目の挑戦の際、勝ち馬ルグロリューの馬体重は410キロ、2度目の挑戦でも2着馬オードは432キロと、小柄な馬も少なくなかった。
そうしたパートナーでも、ハシルショウグンは93年の帝王賞を勝利しているほどの名馬。91年のJRA賞最優秀ダートホースに選出されたナリタハヤブサをはじめ、カリブソング、ダイカツジョンヌといった中央の強豪を撃破しての帝王賞制覇だった。
「ハシルショウグンは新馬戦の時から、重賞を勝てるなと感じた素質馬だった。強さを確信したのは、2600m戦の東京王冠賞。大逃げしていた馬がいたんだけど、あえて捕まえにいかずに『行かせておけ』と、馬の力を信じて騎乗したんだよ。直線ですぐに捉えると、そのまま完勝。タイムも優秀、楽々だった。しかし僕が怪我してしまったばかりに東京大賞典は乗り替わりでね、それが悔やまれる。でも帝王賞で中央馬を撃破できたのは嬉しかったね」