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大歓声が今も耳に残っている…“大井の帝王”的場文男騎手(64)が語る“騎手人生で一番印象深いレース”とは

『競馬伝説の名勝負』より #1

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『勝ったな!』と思ったのに、内からビュッといかれて…

 また、90年ジャパンCでコンビを組んだジョージモナークは、ミルジョージ産駒であり、引退後には種牡馬として中央勝ち馬も複数輩出した素質馬。的場騎手にとって、悔しい思い出として残るのが、オールカマーだ。

「ジョージモナークで2着だったあのレースは、道中上手く逃げられて、正直『勝ったな!』と思った。なのに、内からビュッといかれて…。あの当時はオールカマーくらいしか地方馬が中央に乗り込む機会がなかったし、悔しかった。それだけ、オールカマーは特別なレースだったね。でも、当時の方が中央馬と地方馬のレベル差は少なかったんじゃないかな。南関出身馬からも、ホスピタリテイやトロットサンダーなどが中央に移籍して頑張ってくれたし、ロッキータイガーはジャパンCで2着(85年)だからね」

 そんな的場騎手が目の前で見た「強い馬」として印象に残った1頭が、オグリキャップだ。的場騎手とオグリキャップが対決したのは90年のジャパンC。当時のオグリキャップといえば、引退を間近に控えながらも調子を落とし連敗していた時期だった。宝塚記念で2着、天皇賞・秋で6着と敗れると、そのジャパンCでは11着と大敗。しかし引退レースである有馬記念では復活の大勝利を遂げた。そんなオグリキャップの復活を、的場騎手は予見していたという。

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有馬記念では勝つと思って見ていた

「確かにあのレースでオグリキャップは負けたけど、3~4コーナーで交わされた時のスピード感は素晴らしかった。こっちはスッと抜かれたからね…。『この馬強いな! すごいな! 相当なものだぞ』って思った。外国馬も強かった時代だったし、あの着順は気にならなかったな。だから、有馬記念では勝つと思って見ていたよ」

 的場騎手は、南関が生み出したアイドル・ハイセイコーについて「向こうはデビューが72年、僕は73年。向こうの方がひとつ先輩なんだよ」と笑う。

「ハイセイコーは見習いの時に見ていたけど、あの時代にあの馬格だからね。遠目にもわかる、別格の馬だった。格好良くてね、これは絶対走るな…という感じだったよ。あとは強くてインパクトに残っているのは、中央だとマルゼンスキーやテスコガビー。あとはサイレンススズカだね」

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