年末を締めくくる“グランプリ”有馬記念に対し、“春のグランプリ”と称される宝塚記念。阪神競馬場2200mというタフな条件で施行されるレースは、これまで数多くの名馬がしのぎを削ってきたが、近年の宝塚記念を語るうえで事欠けないのがゴールドシップの存在ではないだろうか。

 ここでは、小川隆行氏を中心にしたさまざまな筆者が、歴史に名を刻む競走馬のエピソードをまとめた『アイドルホース列伝 1970-2021』(星海社新書)の一部を抜粋。持ち前の破天荒さで競馬ファンを夢中にさせた“ゴルシ”の競走歴を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)

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「いつ走るかわからない馬」

 GⅠを6勝した名馬ゴールドシップ。3歳時は安定した走りで皐月賞・菊花賞・有馬記念と3勝を挙げるも、4歳以降は「いつ走るかわからない馬」と化した。東京コースでは日本ダービー5着、ジャパンC15・10着とコース適性に欠いていた。阪神コースでは阪神大賞典3連覇に加え、宝塚記念を2年連続優勝。かと思えば6歳時に大きく出遅れて15着。春の天皇賞では5・7着と凡走を続けるも3度目の挑戦となった6歳時に優勝。

 いつ、どんな条件でも信じきれない気分屋ホースに、翻弄された競馬ファンは少なくないはずだ。

ゴールドシップのライバル的存在だったジェンティルドンナがジャパンカップ二連覇を果たす瞬間 ©iStock.com

 2歳でデビューするまでは「まったく手がかからなかった」(関係者)そうだが、育成牧場から栗東トレセンに移り、明け3歳になって荒々しくなっていったという。管理していた須貝尚介調教師によると「調教助手を振り落とすわ、私に嚙みつくわで気の休まる暇がなかった」そうだ。この時期の有力馬は2、3戦ほど走ってレースを覚え、クラシックを前に重い調教を課せられていく。毎週行われるハードな調教により眠っていた荒い気性が目覚めたのかもしれない。

 宝塚記念と春の天皇賞を2勝した横山典弘騎手は「馬の気持ちを大切にしていた。馬上でゴールドシップに“頑張ってください”とお願いしていた」というから、文字通り王様気質だったのだろう。その言葉通り、スローペースで折り合いをつけるべくなだめられると「好きなように走らせろ」とレース中に怒りだす、そんな雰囲気さえ感じられた。ゲートが開く直前に立ち上がって出遅れたのも、隣の馬がうるさかったために怒りをみせたらしい。多くの関係者やファンを困らせた“迷馬”でもある。