Cygames開発の育成シミュレーションアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』の勢いが止まりません。4月のモバイルゲーム売上ランキングでは、ほぼ市場が日本国内だけにもかかわらず、世界全体で3位にランクインする快挙を果たしました。
人気の最大の理由が多彩な『ウマ娘』のキャラクターにあることは言うまでもないのですが、それに加えて、元々ドラマチックな競馬のエピソードを上手にストーリーに落とし込み、それぞれがしっかりとリアル競走馬のエピソードに沿っているという「つくりの緻密さ」が競馬ファンの心をガッチリとつかんでいます。
だからこそ、実際の競走馬たちのリアルエピソードを知ることで、『ウマ娘』から競馬に興味を持ったファンの皆さんも、より競馬を楽しめるようになるはず――! まずは“親子二代・無敗の三冠”という重圧と戦い続けたトウカイテイオーのエピソードをご紹介します。
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90年代初頭、空前の競馬ブームを牽引したトウカイテイオー
コロナのなかでも競馬は止まることなくつづいている。
「インターネット投票」が普及し、JRAの売上げは堅調だ。地方競馬にはかつてない売上げを記録している競馬場もあり、「競馬ブーム」の到来と言う人もでてきた。いまだに「馬券」を買っているアナログな人間には実感はないのだが、あたらしい競馬世界が広がっているのは間違いない。
中央競馬でもこれまで何度か競馬ブームがあった。さきがけは高度経済成長期の1960年にコダマによっておきたブームだろうか。73、74年は史上最高のアイドルホース、ハイセイコーのブームがあり、バブル期にはオグリキャップがいた。そして90年の有馬記念を最後にオグリが引退すると、90年代初頭には空前の競馬ブームが巻き起こった。
このとき、ブームを牽引した1頭がトウカイテイオーである。オグリキャップによって火照った競馬場をクールダウンさせてくれるような、颯爽とした走りが印象的な天才肌のランナーだった。次々に現れるライバルとの名勝負で語られるオグリキャップ物語とは対照的に、トウカイテイオーにはライバルらしいライバルもなく、熱く語られるマッチレースもない。勝っても負けても、トウカイテイオーの一人舞台だった。