「地の果てまで走って行きそう」“史上最強馬”と評されるルドルフと比肩される存在に
ゴールした直後、ファンもマスコミも競馬関係者も、だれもがおなじ夢をいだいた。
父子二代、無敗の三冠馬――。
ところが、表彰式が終わったあとトウカイテイオーの左後肢に異常がみられ、三日後の診察で左第三足根骨の骨折が判明する。全治6カ月の重傷だった。その瞬間、菊花賞の出走は不可能になり、究極の夢が消えた。
92年春、トウカイテイオーは大阪杯で復帰する。騎手はシンボリルドルフの主戦でもあった岡部幸雄に替わった。安田が調教師試験を受けていたことや、海外遠征も視野に入れての乗り替わりだった。調教ではじめてトウカイテイオーに乗った岡部が、あの名言を口にした。
地の果てまで走って行きそう――。
マスコミ受けするコメントなど滅多に口にしない名手が絶賛した馬は、10カ月ぶりの大阪杯も岡部の手綱がほとんど動かないまま楽勝した。これで7連勝。史上最強馬と評される父親と比肩される存在になっていた。
相次ぐ故障で試練の時を迎える
だが、このあと思いも寄らない試練が待ち受ける。1歳上のメジロマックイーンとの対戦が話題となった天皇賞・春では、最後の4コーナーで先頭のメジロマックイーンを追いかけるように上がってきたトウカイテイオーは直線で急速に失速してしまう。5着。ゴールインしたときには優勝したメジロマックイーンから10馬身近く遅れていた。
はじめての敗戦。それも完敗だった。
悪いことは重なるものだ。雪辱を期すはずだった宝塚記念の前に左前肢を骨折する。さいわい剥離骨折で快復も早かったが、復帰戦となった秋の天皇賞も7着に負けた。屈辱的な連敗である。
つづくジャパンカップは5番人気まで人気を落としている。この年はヨーロッパの年度代表馬となる牝馬ユーザーフレンドリーをはじめ、欧米オセアニアのGⅠ馬が6頭も出走していた(唯一GⅠ勝ちのない馬も凱旋門賞3着)。骨折休養中のメジロマックイーンの姿もなく、日本馬に勝ち目はないという前評判のなかで、トウカイテイオーが日本のエースらしい走りを見せてくれた。4、5番手を進んで直線で先頭に立つと、内で粘るニュージーランドのナチュラリズムを競り負かす。着差は首差でも内容は完勝だった。日本馬として3頭めのジャパンカップ制覇、父シンボリルドルフ以来7年ぶりの優勝である。
しかし、完全復活を印象づけたのも束の間、1カ月後の有馬記念では11着に負けてしまう。15番人気のメジロパーマーが逃げきる大波乱のなか、騎乗停止中の岡部に替わって田原成貴が乗ったトウカイテイオーはスタートで後手を踏み、後方のままレースを終えた。のちに腰を痛めていたという報道もあったが、それにしても、不可解な敗戦だった。