歴史に名を残す競走馬がターフに集い、数々の名勝負を繰り広げていた1990年代後半は、競馬が最も熱かった時代だといっても過言ではないだろう。
そんな時代の名馬・名レースに迫った一冊が、競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共編著『競馬伝説の名勝負 1995-1999 90年代後半戦』(星海社)だ。ここでは、同書より一部を抜粋し、“シャドーロールの怪物”が観客の度肝を抜いた1996年の阪神大賞典を振り返る。(全2回の1回目/後編を読む)
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1996年3月9日「阪神大賞典」発走
その日の出来事を、鮮明に覚えている一日がある。
人の心とは不可思議なもので、何年、何十年も前に誰かに言われたことを、まるで昨日言われたかのように感じて傷つくことがある。その逆もまた然りで、どれだけ月日が流れようとも色褪せず、まばゆい輝きを放ち続ける出来事もある。時の流れは一定ではなく、人の心の織り成しにあわせて流れたり、止まったりもするのだ。
1996年3月9日は、そんな特異点のような一日なのだろう。
中山のメインレース、マーチS(GⅢ)が大荒れとなった興奮と喧騒が止まぬままに、阪神のメイン、阪神大賞典(GⅡ)が発走の時刻を迎える。土曜日の阪神競馬場としては異例の6万人近いファンが見守る中、年度代表馬2頭がおさまったゲートが開いた。
スティールキャストが先頭に立ち、10頭はほぼ一団となって1周目の正面スタンド前を通過していく。刻んだラップは、前半5ハロンが1分3秒0とスローペース。各馬、折り合いに細心の注意を払いながら、3000mの長い道のりを進んでいく。2000mの通過も2分7秒台と、レースはさらに緩んだペースで流れる。
その2000m標識を通過した刹那、スタンドから沸きあがる大歓声。動いた。前目3番手あたりのポジションを取っていた栗毛が、徐々に進出を開始したのだ。
1995年の年度代表馬、マヤノトップガン。
前年の夏にはまだ条件戦を走っていたが、秋のトライアル連続2着から菊花賞を制した。さらに続いて年末の大一番、有馬記念を逃げ切ってGⅠを連勝したことで、年度代表馬の栄誉に浴していた。鞍上には、天才と称された田原成貴騎手。その美しい騎乗フォームが、今日も馬上で輝いている。