ドリームジャーニー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴル……。種牡馬として数々のGⅠ馬を輩出したステイゴールドだが、自身が競走馬として記録したGⅠ勝利は一度のみ。しかも、その勝利は競走生活ラストランでのものだった。その瞬間、競馬ファンはいったいどれほどの盛り上がりをみせたのだろう。
競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」が共編を務め、新時代を彩った多士済々なレジェンドホースたちの名勝負をまとめた『競馬 伝説の名勝負 2000-2004 ゼロ年代前半戦』(星海社新書)の一部を抜粋し、紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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“悲願のG1初制覇”へと続く道
競馬の魅力はいくらでも挙げることができるが、簡単に言い切ってしまえば、1頭1頭の競走馬が繰り広げる物語のドラマ性に集約される、と考えて差支えないだろう。では、その物語のベースになるテーマは何か。血の宿命か、ひたむきさか、持てる者とそうでない者の逆転の構図か、不慮の事故からの復活か、悲願の達成なのか、奇跡そのものか…。
それこそ人それぞれだが、そのドラマの結末には「噓だろう?」と思わせるような、作り話でも思いつかない…いや作り話だと、取りようによっては“出来過ぎ”に感じられるケースもあったりする。オグリキャップの有馬記念のラストランなどは、その代表例かもしれない。
しかし、現実として信じられないドラマは、しっかりと起きるのだ。ステイゴールドがラストランの香港ヴァーズで演じた“悲願のG1初制覇”も、オグリに負けないレベルの典型例と言えると思う。
ステイゴールドは父サンデーサイレンスの牡馬。母ゴールデンサッシュの2番仔で、サッカーボーイの甥、というくらいの血統背景しかない。しかも2~7歳(現表記)までの通算50戦で、最高馬体重が436キロという小ぶりな造り。特に大きな注目を集めたわけではなかった。デビューは2歳(現表記)の暮れの3着。初勝利は3歳5月になっての6戦目。当然春のクラシックに縁はない。夏場に3勝目を挙げ、京都新聞杯4着を経て、菊花賞には出走したものの8着。“いいモノ”を秘めていることはわかるにしても、大きな期待をかけていいのかどうか、は疑わしかった。
それが4歳を迎えて、特異な個性を発揮し始める。まず格上挑戦した万葉Sで2着。自己条件に戻って2着後、長距離を求めて再度格上挑戦したダイヤモンドSで2着。この時点で3勝馬ながらオープン入りし、続く日経賞こそ4着に終わるが、春の天皇賞で2着。目黒記念3着を挟んだ宝塚記念も2着して、遂にG1級の性能を広く認知させる。秋に入ると京都大賞典4着後、天皇賞・秋2着。ジャパンC10着後に有馬記念3着。