1997年、JRAの年間売上が過去最高額を記録して以降、その売上額はなかなか回復せず、下降線をたどっていた。黄金時代のスターたちが続々とターフを去った時代が「ゼロ年代の日本競馬」と言い換えることができるかもしれない。しかし、そんな時代のなかにも歴史に名を刻む名馬はいた。
ここでは、競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共編著『競馬 伝説の名勝負 2000-2004 ゼロ年代前半戦』(星海社新書)の一部を抜粋。「世紀末覇王」という二つ名で愛されるテイエムオペラオーが残した数々の伝説を振り返る。(全2回の1回目/後編を読む)
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年間無敗の8連勝を記録した名馬でありながら…
テイエムオペラオーほど、実績に見合う名声を得られていない馬はいないのではないか。
G1・7勝、獲得賞金18億3518万9000円という数字は、近年になってアーモンドアイやキタサンブラックに破られてしまったが、長きにわたり日本競馬界の金字塔であった。4歳(旧馬齢表記で5歳)時の2000年には年間無敗の8連勝、うちGⅠを5勝。空前絶後の記録を打ち立てながら、なぜか評価は今ひとつ。「名馬」や「史上最強馬」を選ぶランキングの類でも、順位が振るわない。
少々古いが、手元にある資料『ニッポンの名馬―プロが選ぶ伝説のサラブレッドたち』(朝日新聞出版/2010年)を開いてみれば、なんと20位の低評価である。記者、識者、関係者など競馬をよく知る120人のプロたちが第1位~3位を選出し、1位=3点、2位=2点、3位=1点として集計したランキングで、オペラオーはたった「3点」を得るのみだ。
ちなみに1位はディープインパクト(112点)、2位シンボリルドルフ(71点)、3位オグリキャップ(61点)。10年ほど前の企画なので近年の名馬は登場しないが、オペラオーの過小評価ぶりを確認するには十分すぎる内容だ。本文中の扱いも、17文字×12行のわずかな紙幅にとどまっている。
ドラマ性がないわけではない。セリのファーストコールで落札された1050万円の馬(竹園正繼オーナーに競りかけてくる者は一人もいなかった)が大活躍して18 億円以上を稼ぎ出すという物語には夢があるし、当時、大旋風を巻き起こしていたサンデーサイレンス産駒とは真逆の個性も注目に値した。日本のスピード競馬では不利とされる重めの欧州血統。馬名も、社台系のスタイリッシュな響きとは違って昭和的な味わいである。また、岩元市三調教師と和田竜二騎手の堅い師弟関係も、リーディング上位のフリー騎手や外国人騎手へのビジネスライクな乗り替わりが増えつつあった当時において“人情噺”として好意的に語られていた。