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「地味な名馬」

 思えば、オペラオーの物語を紡ぐエピソードの数々には、時流に逆行するような「古き良きもの」が色濃く滲んでいたのだ。連勝を重ねて「現役最強」「国内に敵なし」と言われながら海外挑戦には目もくれず、国内での戦いに専念したこともその一端だろう。

 こうした保守的なイメージに加え、レコードや大差勝ちといった派手なパフォーマンスとは無縁なレースぶりも影響して、オペラオーは「地味な名馬」と揶揄されるようになった。クラシック戦線で取りこぼしが多く一冠に終わっていること、古馬になってからも負かした相手が同じような顔ぶれだったことなども低評価につながっている。

 しかし、勝ち続けることの難しさを一番よく知っているのもまた、我々競馬ファンだ。オペラオーが00年に残した年間8戦8勝というパーフェクトな成績は、ディープインパクトも、シンボリルドルフも、ナリタブライアンも成し得なかった偉業である。

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 前年(99年)、皐月賞V、ダービー3着、菊花賞2着でクラシック戦線を終え、年末の有馬記念で初めて古馬の超一線級と相対し3着と健闘。1つ上である“最強世代”のグラスワンダー、スペシャルウィークの激闘に肉薄した。

和田竜二騎手とテイエムオペラオーは抜群の相性で数々のレースを盛り上げた ©文藝春秋

 この一戦でオペラオーは、これまで同じ世代のライバルからは得られなかった“何か”を得たのかもしれない。覚醒したかのように、翌00年は破竹の快進撃。京都記念、阪神大賞典で同期ナリタトップロードとの勝負づけを済ませると、天皇賞・春から有馬記念までの王道G1を完全制覇してみせたのだ。そのすべてが1番人気にキッチリ応える完璧な内容である。勝てば勝つほど他陣営からのマークが厳しくなるなか、当時23歳の若武者・和田竜二は、持ち前の度胸と、オペラオーとの信頼関係でそれを撥ね退けた。