今週はジャパンカップである。無敗の3冠馬コントレイル。史上はじめて無敗で牝馬3冠を達成したデアリングタクト。そして牝馬3冠にしてGⅠ8勝のアーモンドアイ。テレビ観戦なのは残念だが、歴史的なビッグマッチが現実になる。
コントレイルは英語で「飛行機雲」
3頭のなかで一番に敬意を表さないといけないのは、シンボリルドルフとディープインパクトに並んだコントレイルだが、名前はアメリカ英語で「飛行機雲」を意味するという。それを知ったとき、ヒコーキグモを思いだしたファンも多かったのではないか。アイルランド産馬で、97年のきさらぎ賞に勝ったスピード馬だ。馬主は福岡県で食品の輸出入・販売会社を営む小田切有一氏。ユニークな名前を付けることで知られたオーナーである。小田切氏に名前の由来をきいた。
「ヒコーキグモはですね、郷愁というか、おとなたちが懐かしいと思うもの、忘れかけていたものを思いだしてもらおうと思ってつけた名前なんです。空気が冷えてないと見られない飛行機雲は、温暖化で少なくなりましたからね。父親がキーン(Keen)だったのも、ちょうどよかったかな」
あのG1馬の名前の由来は石原裕次郎
ロバノパンヤとかドングリもおなじように郷愁をテーマにして名づけた馬だと小田切氏は言うが、その代表馬が2006年の高松宮記念に勝ったオレハマッテルゼである。
「これは石原裕次郎の『俺は待ってるぜ』から。俺、ハマってるぜ、と言う人もいましたけどね(笑)」
ほかにアラシヲヨブオトコもいる。セイシュンジダイやアナタゴノミも郷愁シリーズだ。
いまでは、いかにも「ウケを狙った」と思える馬名が多くなったが、そうした“珍名馬”に先鞭をつけたのが小田切氏である。
父はプロレタリア文学の評論家、競馬は祖父の影響かな
小田切有一氏は1942年生まれの78歳。父はプロレタリア文学の評論家、小田切秀雄ということで、幼いころから本に囲まれて育ち、自然とことば遊びのようなネーミングをするようになったのだろうかと想像していたのだが、それについては言下に否定された。
「父はギャンブル嫌いでしたし、ぼくは勉強しろと言われてもしなかった。競馬は母方の祖父の影響かな。山梨の塩山というところで医者をしてまして、馬に乗って往診に行くという、名物医者でした。小学生のころは、遊びに行くたびに馬に乗せてもらっていました。その祖父が『東京には競馬というものがあるんだ。いつか自分の馬を持って参加したいな』と言っていたんです」
祖父の影響もあり、さらに高校が馬事公苑の近くにあって身近に馬を見ていた。大学生のときには競馬ファンになっていた小田切氏は、一口馬主を経て、30代半ばで馬主となった。当初はマリージョーイ(金鯱賞、CBC賞)、ミスラディカル(京都牝馬特別など重賞4勝)といった馬が活躍していたが、ノアノハコブネ(オークス)やラグビーボール(NHK杯、高松宮杯)あたりから変わった名前をつける馬主として知られるようになっていった。