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「茨城に来ると世界があるんです」なぜ23歳の“無名投手”はBC茨城からドジャースに移籍できたのか

文春野球コラム ウィンターリーグ2022

2022/01/25
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茨城で生まれた「心技体」の変化

 松田がアメリカで第一歩を踏み出すまでには、茨城での飛躍がある。大学時代は86kg、最速146km/hだったが、現在は95kg、同155.8km/hにスケールアップを果たした。

 わずか数カ月での“変身”には、上達方法を根本から変えたことが大きく関係している。

「大学時代はとにかく練習すればうまくなると思っていて、実際、結構頑張っていました。でも、試合には出られなくて。出ている後輩を見ると、試合で活躍できることを考えてやるのが大事だとわかりました。茨城では練習時間が限られていて、必要なことだけをやるようにしてキャッチボール、ブルペンの数もどんどん減らしていきました。無駄な球を投げずに、肩肘を消耗しないようにやっていくことで、どんどん自分がやるべきことが逆に見えてきました」

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 大学時代はほぼ毎日ブルペンに入り、60球程度投げていた。それが茨城では「投げるな」と言われ、週1日に減らした。その代わり、トレーニングで体の土台作りと身体操作性の向上に励んだ。

 日本の野球界では伝統的に練習量を求められるが、適切にコントロールすることでメリットも生まれる。

 以前は毎日なんとなく投げていた松田だが、週1回になったことで新鮮な気持ちで投球練習に臨めるようになった。ピッチングの向上はキャッチボールやトレーニングでも可能で、肩肘をフレッシュな状態に保っておくことでブルペンや試合でハイパフォーマンスを発揮できる。世界基準の方法論を色川GMやピッチング兼ストレングスを担当する小山田拓夢コーチが導入していることも、茨城が選手を飛躍させる背景にある。

 そうした環境に身を置き、松田は心の持ちようも大きく変わったという。

「小学校の頃から野球をやってきて、『失敗したらどうしよう』と思っていました。でも茨城はチームの雰囲気もポジティブで、結果が出なくても怒られない。だから、『失敗しても大丈夫』となりました。いい意味で、ちょっと適当な感じでやったら良くなったというか」

 失敗を恐れて縮こまるのではなく、失敗を成功のもとに変える。前向きにチャレンジを続ける中で松田は考え方が変わり、わずか数カ月で大きく飛躍した。

独立リーグならではの価値を創出

 なぜ、茨城球団は“原石”を発見できたのか。2021年11月にBCリーグの合同トライアウトが開催された際、情報はなかったと色川GMは振り返る。

「ブルペンの初見でびっくりしました。身長がデカくて、手足が長くて、デリバリーに癖がない。ドラフトで他の球団が指名しないのはラッキーでした。他球団は今シーズンに勝つための即戦力を探しているから、140km/hそこそこでストレート中心の松田をそれほど欲しいと思わなかったのかもしれません。僕らは根本的に、選手の出口を考えてトライアウトを見ています」

 茨城から世界へ。色川GMが「メジャーリーグポテンシャル」と見込んだ松田は、目論見通りにチャンスをつかんだ。

 独立リーグ球団の経営規模は1億円から1億5000万円程度で、選手を上のカテゴリーに送り出すことは経営をサステナブルにする手段でもある。

 例えばシーズン途中にNPBへ送り出せば、移籍金が入ってくる。金額はユニフォームに貼るスポンサーロゴと同じくらいで、数百万円程度だ。NPBからドラフトで指名されれば、契約金と初年度年俸を合計した額の20%が選手から所属球団とリーグに支払われる。

 松田の場合、フリーエージェント(=自由契約)としてドジャースに移籍した。通例ならNPBからドラフト指名された場合と同様のお金の流れになるが、色川GMは受け取る気はないという。

「それ以上にメディア露出など、お金では買えない価値があります。松田はそういうことにも協力してくれました。今回の移籍が、次につながる一手であることは間違いありません。独立リーグならではのキャッシュポイントを作れると、他球団も参考にしてくれたらと思います」

 独立リーグは2006年に四国アイランドリーグが4球団で始まって以降、チーム数を増してきた。和田康士朗(ロッテ)や増田大輝(巨人)らNPBに羽ばたいた選手が活躍した場合や、ホリエモン球団(福岡北九州フェニックス)の誕生などで時折注目を浴びてきたが、世間的にはその存在をほぼ認知されていない。

 そんななか、脚光を浴びた松田のドジャース移籍には多くの意義がある。NPBという日本球界のメインストリームとは異なる方法で、茨城球団は確かな存在感を示した。

「松田のような可能性を持った選手は他にも、絶対の自信を持って『います』と言えます」

 そう断言した色川GMは、2022年シーズンの先をこう見据えた。

「うちからNPBに3人は支配下で行ってほしい。2人が育成で、合計5人くらいのイメージです。選手たちには、『うちは基本的に出口が見える選手を雇っているので、自信もってくれ』と言い続けています」

 ダイバーシティを持ち、サステイナブルに運営し、合理的なアプローチで、世界にチャレンジできる人材を育てる。今回発表された無名投手のドジャース移籍は、そうしたアプローチが結実したものだ。

 茨城から新風を吹き込むアストロプラネッツ。その挑戦は、日本球界に新たな可能性を示している。

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