プロ生活32年で219勝を挙げた山本昌氏(56)が野球殿堂入りを果たした。中日一筋で、49歳0カ月での勝利など数々の最年長記録を作った左腕。04年から8年間、監督を務めた落合博満氏はどう評価していたのか。「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」の著者で、当時番記者だった鈴木忠平氏が明かす。

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最年長サウスポーをなぜマウンドから降さなかったのか

 まだスポーツ新聞の記者だったころ、落合博満と山本昌の関係をずっと不思議に思っていた。ゲーム中はベンチで微動だにしない指揮官が、ベテラン左腕が投げる日はさらに彫像のように動かなくなるのだ。

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 当時40歳を超えていた山本昌は勝利投手の権利がかかった5回を過ぎるとピンチを招くことが多くなっていた。苦しそうにベンチを見ることもあった。受ける捕手も「そろそろ……」と言わんばかりに落合に目をやる。あとはリリーフに託して、汗を拭ってもらえばいいではないか――側から見ていてもそう思った。

山本昌の40代を支えた落合監督

 だが落合は動かなかった。売り出し中の若手投手は5回を待たずにスパッと見切ることもある指揮官が、なぜか体力的に下り坂であるはずの最年長サウスポーはマウンドから降さなかった。

「監督だって、マサさんが限界だっていうサインを出しているのは気づいているはずなんだ。でも代えないんだよなあ……」

 チームスタッフが首を傾げていたこともあった。

「なんで代えなきゃいけないんだ?」

 案の定、山本昌は6回や7回に相手打線につかまって勝利を逃す。そうした試合の後、落合は決まって番記者たちにこう言った。

「なんで代えなきゃいけないんだ?」

 私には、通算200勝へもがく山本昌に対する非情采配のようにも見えていた。

 

 2008年の初夏。ある日のゲーム前、私は神宮球場のクラブハウスからグラウンドへ続く細い通路で落合と2人になった。指揮官は私の顔を見るなり言った。

「もうお前らには喋らねえ」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。思い当たる節もなかった。

 ベンチまで歩を進めながら聞くと、どうやら紙面に不満があるようだった。

 その前日、先発した山本昌はヤクルト打線を1点に抑えて通算195勝目を挙げた。それと同時に史上26人目となる3000投球回を達成した。落合はその記録に関する記事が紙面の片隅に追いやられていたことを指摘した。