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「揚げ置き天ぷらの美学」とは…? 立ち食いそばを支える名裏方・天ぷら卸の「一匹狼感」が素敵すぎた

「揚げ置き天ぷらの美学」とは…? 立ち食いそばを支える名裏方・天ぷら卸の「一匹狼感」が素敵すぎた

2023/02/14
note

 そば・うどんに最も相性のいいトッピングは、もちろん天ぷらである。天ぷらと聞くだけで「まっしぐら!」という人も多いと思う。そばも天ぷらも大衆食として江戸時代に流行し現在に至っている。

天ぷら卸の代表格「天ぷらいわた」

 昭和の時代にはどこの商店街にも天ぷら惣菜屋があって賑わっていた。中には立ち食いそば屋を中心に天ぷらを卸して繁盛した店もある。今回紹介するのは、天ぷら卸の神奈川県の代表格といっていい店「天ぷらいわた」である。個人的には中学生の時、「大船軒」で立ち食いそばデビューしこの世界にハマったわけで、「自分のカラダの一部はいわたの天ぷらで出来ている」といってもいいのかもしれない。今回の訪問は長い間の夢でもあった。

影取歩道橋の路地

横浜市の本社を訪ねてみた

 2023年2月第1週の土曜日、神奈川県横浜市戸塚区小雀町にある「有限会社いわた」本社兼工場を訪ねることにした。JR戸塚駅から神奈川中央交通の藤沢行のバスに乗る。箱根駅伝で有名な原宿交差点を少し下った影取バス停留所で下車する。降りると人影が少ない。人間よりクルマが圧倒的に多いのに驚く。影取歩道橋の路地を東に下り200メートルくらい行った右奥に本社はひっそり佇んでいた。

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戸塚区小雀町にひっそり佇む「有限会社いわた」本社兼工場

昭和の創業期は大船軒とともに成長

 社長の岩田寛さん(60歳)と長男の岩田悠生さん(28歳)がにこやかに迎えてくれた。「天ぷらいわた」は昭和40(1965)年、岩田社長のご両親が創業した。当初は大船の駅そば「大船軒」用の天ぷら卸としてスタートした。

「創業当初は母が中⼼となって天ぷらを作っていました。大船軒への卸だけでほぼ手一杯で大忙し」だったという。

 岩田社長が仕事を引き継いだのは平成に入ってからである。岩田社長は1社だけに依存する営業体制への危機感から、飛び込み営業を始め、平成4(1992)年に誠和食品系の「都そば」、平成9(1997)年には桜木町の「川村屋」などの新規顧客を獲得していった。

社長の岩田寛さんと長男の悠生さん

1社だけに依存する営業体制に危機が

 しかし、その頃からJR内の立ち食いそば屋は資本関係が変わり、私鉄でも自社ブランドが確立していく。大手が参入するにつれて天ぷらは自社で揚げるという話が増え、系列内での天ぷらの調達に舵を切り始めた。しだいに売り上げは減少していったという。そして最大の危機が訪れる。平成10(1998)年に大船軒との取引が終了してしまう。

「この時が最大の危機でした」と岩田社長は振り返る。しかしここで諦めるわけにはいかない。同年に別のJR系「小竹林」本社に飛び込み営業し、わずか2か月後に取引を開始させた。