大衆そば・立ち食いそば屋を始めた理由を調べると意外と面白い。近代日本の産業発展の中で、外食を扱う人々がどう活動してきたかを垣間見ることができる。店を始めた理由はさまざまである。

 江戸時代から何世代も立ち食いそば屋をやっているという店はない。東京近郊に限っていえば、立ち食いそば屋の登場は昭和27年の亀戸の「びっくりそば」が最初である。そのほとんどが30年代後半から昭和40・50年代に誕生した。つまり、個人店では2代目が奮闘中である。

故郷でそばやうどんをよく食べていた地域の人たちが開業

 戦後、集団就職で上京し、高度経済成長時代にそば屋は儲かるからと始めた個人店も多い。この場合、共通して言えることは、故郷でそばやうどんをよく食べていた地域の人たちが開業しているケースが多い。東京では長野、埼玉、群馬、栃木、茨城、福島、山形あたりの麺文化の栄えた地域の出身の店主が多い。

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 明治・大正時代に弁当屋を創業して、その多角化の一環で立ち食いそば屋を始めたという店も多い。このケースは駅そば店に多い。

 桜木町駅近くの「川村屋」、八重洲などにある古参チェーン店の「梅もと」、茅場町・田町にある「がんぎ」、品川駅の「常盤軒」、大船駅の「大船軒」、そして大手の「名代富士そば」も元は弁当屋からスタートしている。広義でいえば「ゆで太郎」もそうである。

 他の老舗店を営業していて、立ち食いそば屋を始めた店もある。「そば処かめや」は高級割烹からの開業である。あの老舗の名店「神田まつや」もかつて立ち食いそば屋「轟」を営業していたことがあったという。

 鰹節問屋から分業して始めた店もある。新大久保にあった「満大」、そして、三越前の名店「そばよし」がそのケースである。

製麺業を営む会社が立ち食いそば屋を始めたケースも

 そして、もう1つ川上の業態の製麺業を営む会社が立ち食いそば屋を始めたケースがある。三ツ和は製麺業や給食食品事業を経て昭和49年に「小諸そば」をスタートしている。「みとう庵」も野川麺業からのスタートである。四谷の「政吉」は麺を卸していたイナサワ商店がその営業を引き継いでいる。

 鵜の木の「立喰はや川」は早川製麺所の店舗で営業しているし、橋場の「めん処おばた」も小幡製麺工業に併設されている。日本橋や三田にある「蕎麦一心たすけ」は小野製麺からの創業である。

 そして、最近、この業態が増えている。2021年2月に東急多摩川線矢口渡駅近くにオープンした「まるび」もそのケースである。

「まるび」は東急多摩川線矢口渡駅近くにオープンした