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「土用の丑の日」に食べる習慣はいつから?…寿司、そば、天ぷらよりも古い「鰻」が落語のネタとしても“おいしい”理由

「土用の丑の日」に食べる習慣はいつから?…寿司、そば、天ぷらよりも古い「鰻」が落語のネタとしても“おいしい”理由

「文春らくご 噺で味わう江戸グルメ~鰻・そば・寿司・天ぷら~」9月14日開催

2023/07/30
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 誰が名付けたか知らないが、「江戸前の四天王」という、心惹かれる言葉がある。江戸の昔から庶民に愛された鰻、そば、寿司、天ぷらは、明治維新から大正、昭和、平成を生き延び、令和の現在も、我々日本人にとっての身近な「ごちそう」だ。

 かつて、落語の世界に三遊亭天どんという気鋭の新作派が台頭してきた頃から、僕は「江戸前の四天王を集めた落語会」という企画を温めてきた。

 会の中身はもちろん「四天王」が登場する演目を並べるわけだが、可能であれば演者も「食べ物」に関わりのある人を揃えたい。三遊亭天どんの他、柳家うなぎ、桂まぐろ、古今亭大もりなどを名乗る噺家がいれば、演目も演者も「四天王」という画期的な落語会ができるではないか。そう思って、彼らの出現を待ち侘びていたが、いつまでたっても出てこない。それなら演目優先で、鰻、そば、寿司、天ぷらに関わる落語を最もおいしそうに演じてくれる演者に出前、ではなく、出演をお願いしようと思った。これが今年9月14日に開催する「文春らくご 噺で味わう江戸グルメ~鰻・そば・寿司・天ぷら~」の出発点だった。

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「四天王」の中で一番の古株は鰻

「江戸前の四天王」は、歴史的に言えば、鰻、寿司、そば、天ぷらの順で庶民の前に現れた。江戸っ子の食は安直であることを旨とする。「一日三食」が定着したのは江戸中期以降のことで、それまで独身者や共働きの人々はもっぱら外食、つまり屋台メシだ。「四天王」も基本は屋台で提供された。江戸っ子連中は、すし屋台でにぎりをパクつき、隣の屋台で熱々の天ぷらを食べ、そのまた隣でデザートに団子を頬張る。これが屋台メシのフルコースである。

「四天王」の中で一番の古株は鰻だろう。江戸前期までは、身を開かず、ぶつ切りで串に刺して、粗塩を振って炙った。脂がキツく決して美味ではないが、労働者のスタミナ補給のための「薬食い」として重宝された。それが江戸中期、隅田川河口で大量にとれる鰻を何とかしておいしく食べようと、現在の「蒲焼」が工夫された。当初は屋台の鰻丼だったが、たちまち人気を呼んで鰻専門店ができた。土用の丑の日に鰻を食べる習慣は、安永年間からあるという。

文春らくご 噺で味わう江戸グルメ~鰻・そば・寿司・天ぷら~」(昼の部)に出演する隅田川馬石
文春らくご 噺で味わう江戸グルメ~鰻・そば・寿司・天ぷら~」(夜の部)に出演する古今亭菊之丞

トリは鰻の落語。そばネタにも注目

 今回企画した「文春らくご」では昼夜共、鰻の落語をトリに据えることにした。昭和戦後の落語黄金期を支えた大看板、桂文楽・古今亭志ん生ゆかりの演目を、志ん生のDNAを受け継ぐ古今亭・金原亭の精鋭二人(古今亭菊之丞、隅田川馬石)が演じる。古今亭の菊之丞が文楽十八番の「素人鰻」に挑戦するのも楽しみだ。「鰻の幇間」に取り組む馬石は、文楽、志ん生両御大の良いところを取り入れた“馬石流”を披露してくれるだろう。