簡単にまとめると、こうなる。
東日本大震災で姉を亡くし、義兄は未だ行方不明のままで、実家がなくなってしまった。
すると、どうなるか?
なかなか帰らなくなる。
帰省というものは実家に帰ってゴロゴロするものだと思うが、今は気仙沼に帰ってもホテルに泊まらなければならず、ゴロゴロしていても、なんだか違う。
そんなこんなで、18歳まで過ごした宮城県の気仙沼は「遠い故郷」になってしまった。
ところが先日、久しぶりに帰るキッカケが出来た。
3月12日と13日に、立川志の輔師匠が新しく完成した気仙沼中央公民館で独演会を開催するというのだ。
いまは渋谷PARCO劇場でお正月に開かれている「志の輔らくご」。その前身ともいうべき草月ホールでの独演会に通うようになったのは、もう30年ほど前のことになろうか。
故郷の気仙沼で、志の輔師匠。こんなことでもないと、帰らないままだな――。
そう思い立って、帰ることにした。
「よくぞ私に声をかけてくれました」
志の輔師匠と気仙沼の縁は、10年前にさかのぼる。経緯はこうだ。
もともと、気仙沼市と東京の目黒区が提携し、1996年から毎年9月に「目黒のさんま祭」が開催されていた。このイベントは、参加する気仙沼市民がさんまを自ら買い、それを東京の目黒で焼いて提供していたが、津波で道具も流されてしまい、開催自体が難しくなってしまった。
「さんま祭」は気仙沼にとって、重要な情報発信イベントである。そこで2012年に菅原茂気仙沼市長が、復興支援に携わっていた糸井重里さんに「さんま祭を再開するために、何か出来ないでしょうか」と相談をもちかけた。
糸井さんは、志の輔師匠の落語会を気仙沼で開こうと考えた。
落語愛好者にとどまらず純粋に気仙沼を応援したい人たちを集め、師匠の落語を聴き、観光してもらい(当時はまだ震災の爪痕があちこちに見られた)、お金を使ってもらう。
単なる独演会ではなく、落語をきっかけに気仙沼を盛り上げようと糸井さんは考えたのだ。
それが「気仙沼さんま寄席」だ。
糸井さんが志の輔師匠に独演会の依頼をしたとき、師匠はこう答えたという。
「よくぞ、私にお声をかけてくださいました」