グラビアアイドル、そしてアーティストとして活動するあにお天湯さん(24)。2023年8月に出版したヌード写真集『月刊 あにお天湯』(講談社)は現在もヒット中だ。

 無邪気な笑顔を浮かべる彼女だが、実家には安らぎは存在しなかった。母親の不倫や義父からの暴力、そして義父が母に強要した「奴隷誓約書」……。壮絶な生い立ちを語ってくれた。(全3回の1回目/続きを読む)

グラビアアイドルのあにお天湯さん ©三宅史郎 /文藝春秋

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義父からの悪意に晒され続けた子ども時代

ーーウェブサイトのコラムに「親ガチャに失敗」と書いていましたね。

あにお 自分ではあまり好きじゃない表現なんですけど、分かりやすいかなと思って使いました。私が2歳、妹が生まれてすぐに両親は離婚しました。

 母は19歳で私を産んでるんですけど、家からすごく出たかったみたいで。家を出るためにまず子供を作ったらしいんです。その後、駆け落ちみたいな感じで父と住んで、結局うまくいかなかったみたいです。なんで離婚したのかは、親とのコミュニケーションが全くないので分からないんですけど。

 離婚後、母は私と妹を連れて1回実家に帰るんですけど、その2~3年後、母がマクドナルドでバイトしている頃に義父にナンパされて再婚します。私が5歳くらいの頃です。

ーー義父との関係は良くなかったそうですね。

あにお 義父は母のことが恋愛的に大好きで、だからあんまり子供が必要じゃなかったんです。根底の部分で女を見下している感じの人で、そういう昭和的な価値観に不信感もありました。あと子供の嫌がる顔を見て、喜ぶお父さんとかっているじゃないですか?

ーーえっ、どういうことですか?

あにお なんか、私にわざと意地悪をして泣かせて喜ぶ。そういう義父だったんです。小学校に入る頃からエスカレートして、追いかけ回されてボコボコにされたり、襟元をつかまれて宙に浮かされたり。言葉の暴力はさらにひどくて「ブス」「お前なんていらない」とかそういうレベルの言葉は毎日でした。本当に私のことが嫌いだったんだろうなって思います。

©三宅史郎 /文藝春秋

 でもそれは私だけで、妹はそんなことはなかったんです。義父とも結構上手にやっていました。 実は私、妹ともあまり仲良くなくて。6歳ぐらいの時に「この人とは絶対に気が合わない」ってお互い感じて、そこから全然しゃべらなくなったんです。だから家でもしゃべる人がいないし、ポツンとしてました。