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 そして2013年、「目黒のさんま祭り」に気仙沼が復活する。

「さんま寄席」が生み出した収益を、主催した糸井さんのほぼ日が、「さんま祭り」の実行委員会に寄付し、復活がかなったのだ。

 さんま寄席は、2015年までは糸井さんが代表取締役を務める「ほぼ日」の主催で開催、それがきっかけとなって、志の輔師匠は気仙沼での独演会を続けていた。

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 独演会の現場での運営に携わってきたのが、「気仙沼つばき会」だ。

 つばき会の構成員は、すべて女性。2008年に気仙沼のおもてなしを考えようと発足したが、

「震災後はおもてなしを考えることに合わせ、気仙沼を発信する活動にも発展していった気がします」

 と会長を務める斉藤和枝さんはいう。

 つばき会は、漁に出る船を見送る体験ができる「出船おくり」を企画したり、「漁師カレンダー」を発売し(TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』で話題になっていた)、気仙沼の存在を発信し続けてきた。

斉藤和枝さん

「また、気仙沼でもやりたいですなあ」

 つばき会の面々は、気仙沼での独演会で結ばれた志の輔師匠との縁を大切にしていた。2021年9月4日には岩手県北上市で志の輔師匠の独演会が行われることを知り、車で2時間ほどの道のりを勇んで駆けつけた。演目は「ねずみ」だった。

 会の終了後、つばき会の人々は志の輔師匠から楽屋に招かれた。そのときのことを、和枝さんはこう思い出す。

「楽屋にお邪魔してとっても素晴らしい高座でしたというお話をしていたら、師匠が『また、気仙沼でもやりたいですなあ』とおっしゃったんです。その言葉を真に受けて、『また、気仙沼でもやっていただけるんでは?』と、気仙沼への道すがら、つばき会のメンバーで盛り上がってしまったんです」

2012年の「気仙沼さんま寄席」で、高座の上でトークショーを繰り広げる志の輔師匠と糸井さん

 すると、翌日に奇跡のようなことが起きる。和枝さんの携帯電話に着信があった。

 なんと志の輔師匠からだ。

「師匠がわざわざ、『昨日は来てくれて、ありがとうございました』と丁寧に電話をくださったんです。それだけで感激ですよ。そこで私が思い切って、『気仙沼の中央公民館が新しくなるので、独演会をお願いできませんでしょうか』と出演をお願いしてみました。そうすると、師匠が『いいですよ』とおっしゃったんです。その言葉を聞いた瞬間、私はもう、爆発的な気持ちになりました」

「だから、出来ますよ」

 最高の瞬間だったが、なにせつばき会は「興行」とは無縁の団体だ。どう準備したらいいかが分からない。

 和枝さんは、ためらうことなく師匠に質問をした。私たちは、何を準備すればいいでしょうか、と。すると、志の輔師匠はこう答えたという。

「着物を着替える場所と、高座といって高い台があり、そこに座布団だけあればいい。だから、出来ますよ。大丈夫、気仙沼に行きますよ」

 それが師匠からの答えだった。

 そこからは「いろいろとご迷惑をおかけしながら、ひとつひとつ教えていただきながら進めさせていただきました」という。

「これまでのさんま寄席では、糸井さんのほぼ日さんと、志の輔師匠がすべて費用を持ってくださっての開催でした。今回、自分たちで開催することによって、足りないかもしれないけれど、いくらかでも師匠にお出演料を支払いすることができるようにしたいと思いました。ですから、どんな偉い人がお見えになったとしても、お代は頂戴することにしました。今回の独演会は、震災から10年以上が経ち、いよいよ気仙沼の人間が自分たちで立ち上がって、師匠の独演会を作ることにしたんです」