独演会の開催日は、2022年3月12日と13日と決まった。
3月11日は鎮魂の日。そして翌日と翌々日は、志の輔師匠を「磁力」として、いろいろな人に帰ってきて欲しいと考えた。
独演会の名称は「おかえり寄席気仙沼 志の輔独演会」となった。和枝さんは「おかえり」という言葉にこんな思いを込めた。
「師匠の落語をきっかけに、久しぶりに故郷に帰ってみようと思ってくれたり、震災以降にボランティア活動や、観光で定期的に気仙沼に通って下さる人も多いので、その方たちと気仙沼の人たちが混ざって、一緒に笑える日になって欲しいと考えたんです」
そのプランを実現するためには、25人ほどのつばき会の面々だけでは足りなかった。たとえば、開催当日には駐車場の誘導など、人手が必要となる。
「私たちが『志の輔師匠の独演会を開きたいと思うが、どうだろうか?』と言ったら、気仙沼の多くの人が『いいね、それはいいねえ。やっぺ、やっぺ』と集まってくれたんです。そうして『駐車場は俺たちが見るから』と言ってくださる方もいれば、震災以降、気仙沼に移り住んだ人たちも手伝ってくださり、さんま寄席の歴史をマンガにしてくれた方もいました。主催はつばき会になりましたが、本当に『オール気仙沼』で、師匠、そしてお客さまをお迎えできるように準備ができました」
当日の駐車場には「品川」「横浜」といったナンバーも見受けられた。
気仙沼に磁力が宿ったのだ。
気仙沼で「おかえり」と言ってくれる人はもういないと思っていた
私にとっては、数年ぶりの帰郷である(おそらく4年ぶり)。
不思議な感覚に陥ったのは、会場へと車を走らせているときだ。区画整理によって道路の配置が変わり、自分の故郷なのに、車に乗った自分がどこを走っているか分からなくなってしまった。
頭の中に生きている「自分の地図」が甦り、いまの地図を受け入れることを拒否するのだ。
故郷であって、故郷でない感覚は少しさびしかった。
ところが――。
独演会の会場に着くと、つばき会の面々が「おかえりなさい」と福来旗(出船の時に振る旗)を持って、出迎えてくれた。
気仙沼で「おかえり」と言ってくれる人はもういないと思っていたから、これは大きなサプライズだった。小さい町だから、中学校卒業以来30数年ぶりに会った先輩もいた。まさに人が寄る場所、「寄席」である。