2月10日の夜9時。
東京・有楽町のよみうりホールの楽屋で、「神田松之丞」に最後の話を聞いた。
前日は浅草ビューホテルで、400人近くを迎えての襲名披露パーティ。2月10日は「神田松之丞 最後の独演会」ということで昼夜3席ずつをこなし、いよいよ翌日に「六代目神田伯山」として大初日を迎えようとしていた。
「披露目のパーティから大初日まで、3日連続にして大正解でしたね。連投となるとスタッフも疲れちゃうかなと思っていたのですが、お客さんのテンションがどんどん上がっていく感じが分かります。パーティの動画が『神田伯山ティービィー』で流れて、松之丞最後の独演会もたくさんのお客さまから、SNSでどんどん拡散されて、観てない方にもお祭りに参加する感覚を持っていただけたんじゃないでしょうか」
「どうも~」みたいなノリで行こうかな
準備に忙殺されるというよりも、「仕掛け」の意識が強い。この日で松之丞という名前ともお別れだったが、本人はいたって冷静だった。
「常連の方々は感慨深かったかもしれませんが、僕の方は淡々とやってました。名前が変わる明日の大初日もそうだと思います。大初日は誰でも緊張するものらしいんですよ。昔、柳家三三師匠の真打昇進の大初日を上野の鈴本演芸場で見たんです。三三師匠は二ツ目の時から堂々としていたのに、その日はどういうわけか、マクラの段階から緊張してるって雰囲気が伝わってきたんです。演者が緊張していると、お客さまも緊張してしまうものなんですよ。だから僕は、『どうも~』みたいなノリで行こうかなと(笑)」
松之丞に話を聞いている間に、大初日を迎える新宿末廣亭にはすでに行列が出来ていた。先頭に並んだのはヤクルトスワローズのユニフォームを着た男性で、前日の午後3時には並んでいたという。
先輩たちのユーモアにくすりともせず
大初日の新宿末廣亭は祝祭感に満ち、夜7時過ぎから始まった口上の席には落語芸術協会会長の春風亭昇太、桂米助、三遊亭遊雀、師匠の神田松鯉、そしてゲストには立川談志と親交が厚かった毒蝮三太夫が並んだ。
伯山は、先輩たちのユーモアにもくすりともせず、正面の一点を見据えていた。照明が下から顔に当たり、凄みを感じさせるほどである。
そして8時15分から伯山として初めての読物『中村仲蔵』が始まり、9時前に読み終わると拍手が鳴りやまず、寄席では見たことがないカーテンコールが起きた。
終演後の9時15分から記者会見が行われたが、これもまた真打昇進の興行としては異例のこと。報道陣の入れ込み方がハンパなかったが、当の伯山がいちばん淡々としていた。
「びっくりするくらい、緊張しませんでした」
こちらが驚くほど、冷静である。口上のことを尋ねられると、笑いもせずにこう振り返った。
「師匠方の口上を聞いていても、技術的なことが気になってしまって。『こういう風に話せば面白くなるんだな』とか、そんなことを考えながら口上を聞いていました」
だからくすりともしなかったんだな、と合点がいった。しかも春風亭昇太の“口上分析”までしてくれた。