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「3か所、変えました」

 24時間経って、「中村仲蔵」は変わっていた。記者会見の席で、私は改変部分について質問した。

「3か所、変えました。実際、大きく変えようとも考えましたが、それは出来ませんでした」

 仲蔵の女房は登場しなかった。

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「女房、あるいは師匠を出そうかとも考えましたが、いざ、大初日となるとそれは出来なかったですね。なんでしょう、いざ大初日を迎えるとなると、意外に変えられない。それは、多くの名人たちが高座に上がってきた末廣亭でのトリを取らせていただくという緊迫感があったからかもしれません」

 

 口演中も、次のステップに必要なことに気づいたそうだ。

「劇場にもよりますが、仲蔵を出す時は聞かせどころで照明を消すんです。ただし、末廣亭ではそうした演出は使えないので、寄席でどういう演出をすべきなのか、実はやりながら気づいたんです。これから寄席で仲蔵をかけるときは、小屋に合わせた演出をしていきたいと思います」

 とにかく冷静なのだ。

 それでも大初日、演出に変化があった。

 四代目市川團十郎の台詞を足し、仲蔵と対立する座付き作者との関係性を明確にしたうえで、舞台での説明部分が増えた。

 笑いどころが足され、緩急のリズムがより明確になっていた。

「3か所変えたことで、クオリティは下がったかもしれませんが、4、5年続いた中村仲蔵を動かせたことで満足です」

 伯山の時代が始まったことへの宣言である。

鋭利なナイフから、名刀へ

 工夫は続いている。4日目の読物は笑いが満載の『万両婿』。

 最初、私は変更箇所を数えていたのだが、とてもじゃないが追いつけないほどバージョンアップがなされており、掛け値なしで、いちばん笑った『万両婿』になった。

 当初は大初日だけでも聞ければいいか、と思っていたが、こうなってくると可能な限り足を運びたくなってくる。

 では、そう思わせる魅力とは、なんなのだろう?

 

 末廣亭での2席を聞き、神田伯山の最大の魅力は、「進取の精神」であることに気づかされた。

 伯山が年齢を重ねるとともに、講談の演出は変わっていくはずだ。10日の夜、松之丞は楽屋で私にこう言っていた。

「私の師匠、人間国宝にもなった神田松鯉は年を重ねるにつれて、余裕が出て、しかもチャーミングになっていってるんです。私と師匠は40歳以上も年齢が離れていますが、おそらく僕もチャーミングになっていくんじゃないでしょうか(笑)」

 触れば指先から血が出そうな鋭利なナイフから、名刀へと変わっていくプロセスがいま始まった気がする。