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崖っぷちを走りながら、かたときも勉強をやすまなかった88年…なぜ“世界のオザワ”の音楽は世界中で愛されたのか?

追悼・小澤征爾

2024/02/17

genre : エンタメ, 音楽

note

小澤が語った「表現力のよしあし」

 小澤さんは、そのために直に若者と接し、自身のスタイルを見せながら音楽の神髄を伝えようとしたのだろう。「表現力のよしあしとは」と尋ねるとこう言った。

「たとえば、悲しみなんていうのはね、本当に悲しみを自分で体験してない人が…、あるいは嬉しいこともただ嬉しがっちゃってて、本当に味わっていない人がいるんですよ。感情的にわりと単純というか。まあ生き方や環境にもよるんだろうけど、そういう人は難しいかもしれない」

©ND CHOW

 そして、小澤さんは、この話に続いて、指揮者のための塾を計画していることももらしてくれた。

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「月謝はとらない。タダだといい人が来ますよ。お金持ちじゃなきゃ音楽学校に入れないようなのはおかしいと思う。音楽なんてそんなもんじゃないですよね」

 こののち、小澤さんは実際に指揮者セミナーを開くことになる。

最後の最後まで崖っぷちを突っ走り続けた

 1982年、46歳の小澤さんは、テレビドキュメンタリー番組の中でこう発言していた。

「この商売というか、この種類の人生というのは大変でね。いままでこういうふうにできあがったから、これからもこのままうまくいくだろうというのはなくて、いつもこの縁(テーブルの縁をなぞりながら)を歩いているようなものなんです」

 その発言について訊くと、小澤さんは覚えていて、「あー、崖っぷちを歩いているようなと言っていた? 20年前? ちょうど難しい頃。音楽監督になって10年弱の頃だよね」と回想した。

©ND CHOW

「その後の20年は崖っぷちではありませんでしたか?」とたたみかけるとこう答えた。

「いや、それでもアップダウンはあるよ。崖っぷちっていっちゃあ変かもしれないけど、まあ一匹狼であることは間違いない。誰からも保証されてないからね。契約があるったって、うまくいかなかったらおっぽり出されちゃうからね。誰にも頼れないし、自分の、なんていうか、技だけだから」

 一台のスクーターで日本を飛び出し、世界を相手にひとり戦い、最後の最後まで崖っぷちを突っ走り続けた小澤征爾さん。永遠にエネルギーが尽きることはない、幕が下りることはない、と思わせる人が逝ってしまった。

撮影 ND CHOW

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

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