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「なんであんたは、どこに行ってもいじめられるのよ!」私立中学を1年で退学した私が「人生が詰んだ」と感じた瞬間

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会, 教育

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とっさのことだった。私は我を忘れて母親に襲いかかった。馬乗りになって首を絞めていた。誤解しないでほしいのだが、そのときの私は母に対して、たったの1ミリも、憎しみという感情はなかった。だから母を殺したかったわけではない。ただただ行き場のない悲しみが胸中に押し寄せ、それが濁流となって、全身の血という血が沸き立つような感覚である。それは、私自身がかろうじて保っていた理性をも、どこかへ追いやってしまう。

今考えると、その先に暴力があったのだと思う。私たちはフローリングの上で上下にひっくり返り、激しい取っ組み合いになった。

そのときの感覚は今でも覚えている。母は、驚くほど温かかった。私はなぜかそのとき、母の体温を感じていたのだ。なぜだか、私が触れた母はとてもとても温かかったのだ。

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そして、母が私に全身全霊で向き合ってくれているのを感じた。生きるか、死ぬか、という切羽詰まったあの感覚。それは、考えてみれば母に虐待されたあの幼稚園時代と同じあのとき、あの瞬間を彷彿とさせた。

「だれか、だれか、たすけてぇぇ! ころされるぅぅ!」

そのときの母は、子どものように泣きながら絶叫して、必死の抵抗を試みて、私の手から逃れようとしたと思う。そうして、私に嚙みついたり蹴ったりした。

母への怒りと悲しみ

今でも、あのときのことを思い出すと、胸がいっぱいになる。母は一瞬の隙をついて、命からがら家から飛び出した。ひっくり返ったテーブル、割れて飛び散った茶碗。倒れた本棚――。

ぐちゃぐちゃになった部屋は、無残そのものだった。私は荒れ果てた家を見て、泣きじゃくった。そして、すさまじい後悔の念に襲われた。

「お母さん、ごめんなさい! ひどいことして、ごめんなさい!」

母がいない家。なんであんなことをしたのか、死にたくなった。その後、自殺未遂をしようと考えたこともある。そうしてやっぱり、私はいないほうがいい人間なんだと自らを責めた。そんなことが幾度となくあった。

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