40代の引きこもり息子を抱え込んでいる母、娘の家庭内暴力と夫の無関心に悩む妻……。抱え込むことは愛であったはずなのに、なぜ事態が悪化するのか。長年、家族援助をしてきたカウンセラーの信田さよ子さんは、そんな問いに対して「共依存」という言葉を使って説明する。
ここでは、信田さんがカウンセリング臨床例や映画、小説などを題材に「共依存」について分析した『共依存 苦しいけれど、離れられない』(朝日新聞出版)から一部を抜粋。暴力を振るう長女について相談に来たCさんの事例を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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焦燥感に駆られて結婚したCさん
Cさんは短大を卒業後、証券会社に勤務した。当時は日本の経済成長が翳りを見せるという予感すらなく、真面目な勤務態度だったCさんはそこそこの給与を得ていた。27歳になったとき、母親が兄の結婚が遅れているのはCさんがいつまでも実家にいるせいだとほのめかしたのをきっかけに、なんとか結婚してこの家を出なければという焦燥感に駆られるようになった。
父親はまったく存在感のないひとで、専業主婦の母親のいいなりになっていた。ひとこと自分の現状を擁護してくれるかと期待をしたら、ふっと席を立ち犬の散歩に出てしまい、結局彼女を守ってはくれなかった。
そんなとき、ときどき勤務先に出入りしていたコンピューター会社の営業マンだった夫と知り合った。父親のふがいなさに憤りを感じていた彼女は、彼の仕切りの速さ、デートの約束の際の強引さが新鮮に思え、1年後に結婚して実家を出ることになった。
ひとつ気になったのが、彼の飲酒量の多さと、飲むと記憶をなくすという行為だった。おまけに給与も、夫婦ふたりの合算でかつかつだったのに、避妊を要求しても酔っ払っているためにいつも拒絶され、結果的には結婚後2ケ月で妊娠した。産休をとり職場復帰するつもりだったが、低出生体重児だった長女のために涙を吞んで退社することになってしまった。
次女を差別する姑に長女を任せきりに
体の小さな長女は育てにくかったのに、実家の母は産後のめんどうも見てくれなかった。夫は深夜帰宅でまったくあてにならない。二言目には、育児は母親の責任と言うのだった。孤立した環境、兄妹間の差別、母からの無関心、父から捨てられた感覚のなかで、彼女は育児にとり組まなければならなかった。
そのころ、夫は脱サラをして実家の小さな機械の部品製作会社を継ぐことになった。舅ががんになり、社長の職務を誰かが代理しなければならなかったからだ。
Cさんは、急速に夫の実家との関係が深まることをむしろうれしく思った。舅の病院に毎日訪れめんどうを見た。姑はもともと夫婦仲がよくなかったために、Cさんに舅の世話のすべてを託し、その代わりに長女のめんどうを見てくれた。1年後に舅が亡くなり、その生まれ代わりのように次女が誕生した。姑は長女を溺愛し、次女のことは明らかに差別するのだった。そのぶんかわいそうに思ったCさんは、次女のことをいとおしく思い、長女はほとんど姑にまかせきりになった。