1ページ目から読む
2/4ページ目

 舅の死後5年経ち、長女は小学生になった。姑にまかせきりの状態に不安を抱き始めたCさんは、長女に厳しく接するようになった。学校でのトラブルが起きると、時には長女への折檻と罵倒につながることとなった。夫は一切育児に協力する態度はなく、まったく孤立したままの育児だった。

 いっぽう次女はきわめて育てやすく、すくすくと育った。容貌も、長女は夫に似ていたが、次女は誰に似たのかわからないほど目がぱっちりしていて、外で出会うひとたちがテレビのCMに出したら、と勧めてくれるほどの愛くるしさだった。

長女が次女を責めて暴れるようになる

 長女が思春期になるころ、なんとか夫の会社は軌道に乗ったが、帰宅後の飲酒によってしばしば人格が変わってしまうようになった。Cさんの実家や夫への意識されない対抗意識は長女の受験へと振り向けられた。母子連合戦線と夫から揶揄されたように、中学受験のためにまるまる2年間必死で取り組んだ結果、めでたく第1志望の中学に合格した。次女は、長女ほど成績が上がらなかったために早期に志望を芸術系へと転換させ、のちに比較的のびのびと過ごせる私立へと入学した。

ADVERTISEMENT

 長女の問題は中学2年生から始まった。夏休み明けに登校を渋ったのをきっかけに、学校に行くのもさみだれ状態となり、冬休みをまぢかにするころにはほとんど登校できなくなってしまった。

 その後長女は不登校のままで、私立中学は中退し、大検(大学入学検定試験)に合格したもののまったく勉強などできない状態だった。ことあるごとに次女を責め、洋服を切り裂き、暴力をふるった。ある晩、包丁をもって次女を追いかけたことから、夫がおびえて次女をアパートに別居させることにした。いくつかの精神科病院を受診させたが、外来担当医の「いい加減にしたらどうか、少しは親のことも考えろ」という一言でキレた長女は、その後一切の専門家を拒絶しているという。

©AFLO

 次女が家を出てからしばらくは落ち着いていたのだが、Cさんの携帯メールを盗み見て次女と交流していることがわかると、部屋のドアを蹴破ったり、Cさんの靴に調味料を流し込んだりするようになった。ほとほと困り果ててCさんは、センターにやってきたのだった。長女が19歳、次女が17歳になったときだった。

Cさんとのカウンセリング

 スニーカーにストレッチ素材らしいジーンズをはいている40代後半のCさんは、黒く染めた髪が異様に盛り上がっている。これまでの一連の経過を甲高い声で、笑みを浮かべながら時には大仰に手振りを添えて一気にしゃべった。私からの質問を差しはさむ余地も与えないほどの噴出するようなエネルギーが彼女の全身から発散された。

 そんなオーラのような勢いには、もう驚かなくなっている。家族の問題で来所する多くの中高年の女性たちが全身から発散しているからである。不幸な事態はひとを意気消沈させるだけではない。いっぽうで何かを発散させるのではないかと思う。それがしばしば興奮した語りとなり、Cさんのような満面の笑みだったりするのだろう。私にはその笑みの意味がよくわかる気がする。あきれるほど悲惨な現実に直面しているひとほど(特に子どものことで)、奇妙な笑顔とともにそれを語るのだ。