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 話す内容は長女のことだけに終始した。一日中長女が何をやっているか、どれほど苛烈にCさんを責めるかを、まるでお経を唱えるように語った。正直うんざりする感じもしたのだが、それでもちゃんと聞かなければならない。「死ね!」と廊下ですれ違いざまに叫ぶこと、七五三の写真に写っている長女の草履が古いことから始まる母親への攻撃の内容を、身振り手振りをまじえて話すのを聞いていると、Cさんはひょっとしてこの事態を喜びながら、私に誇示しているのではないかという気さえしてきた。

娘の問題と向かい合おうともしない夫

 しかし、話が夫のことになると、とたんに彼女の表情が変わった。笑みは消え、打ち消しようもないほどの怒りが表情から読みとれた。「もう先生、だめなんですよ」とため息をつきながら、とにかく夫についてはもうあきらめがついていると繰り返す。まるで自分に「あきらめろ」と言い聞かせているかのように反復しながら。しかし、言うそばから怒りがわいてくるのが伝わってくる。

「だって先生、夫はね、家ではいつも飲んでるんですよ。まともに話なんかできませんよ。娘が死にたいって言えば『じゃ、死ねば』ってさらっと言っちゃうひとなんですよ」。さすがに驚いた顔の私を見て、彼女はうっすらと涙ぐんだ。さらに追い打ちをかけるようにこう言った。

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「娘が暴れたとき、警察を1回呼んだことがあるんですけど、そのとき夫は晩酌のビールを飲みかけで放ったまま、押し入れに隠れてしまったんです」「きっと恐かったんでしょうね、娘が。その後でこう言ったんです、『あ~あ、俺の人生もこれでおしまいだな』って」

 私には彼女の無念さがわかる気がした。長女を前にして途方に暮れている妻に対して、しらふで向かい合うこともしない夫、自分のことしか考えていないことをあっけらかんと披瀝する夫だという事実がつきつけられてしまったのだから。長女が自殺しても、自分は被害者のような顔をして、葬儀のときだけかわいそうな父親を演じるだろう夫の正体が見えてしまったのだから。

家族を維持し続けるために

 Cさんは思わず涙を流してしまった自分を恥じるかのように、再び長女の行動に話を移した。そのとたんにもとの生き生きとしたエネルギーに満ちた顔に戻ったのだ。彼女はこうして長女のことで困りながら、どこかで夫との関係に直面しなくて済んでおり、夫のことをひどく嫌って顔も合わさない長女に深いところで共感しているように思われた。そのいっぽうで、夫からこれ以上育児の失敗を責められないためにも、長女を「ふつう」の人生コースへと乗せようとするたくらみに満ちている。

 カウンセリングにやってきたのも、長女をなんとか連れてきてカウンセラーにふつうの娘に戻してもらおうという計画の実現のためなのだから。それこそ「娘のため」だと信じて疑わないCさんを見ながら、長女は逃れようもないループにはまったような生活を送っているのだろうと思った。

 人が極端な恐怖にさらされると、脳内に興奮物質が分泌されることはよく知られている。猫が毛を逆立てるように、私たちにも鳥肌が立つことがある。極度の飢餓状態に陥ると、時には異様な多幸感に襲われることもあるという。摂食障害の自助グループでは「やせぼけ」という隠語が用いられるほど、やせが進行すると精神状態が変容するのだ。

 過酷な状況を生きるためには、さまざまな生体維持の反応が生み出されているのだ。とすれば、夫婦の愛、夫への信頼という結婚生活の柱がぽっきりと折れてしまった女性が、それでも結婚生活を維持していくためにはどのような反応が生み出されるのだろうか。