40代の引きこもり息子を抱え込んでいる母、娘の家庭内暴力と夫の無関心に悩む妻……。抱え込むことは愛であったはずなのに、なぜ事態が悪化するのか。長年、家族援助をしてきたカウンセラーの信田さよ子さんは、そんな問いに対して「共依存」という言葉を使って説明する。
ここでは、信田さんがカウンセリング臨床例や映画、小説などを題材に「共依存」について分析した『共依存 苦しいけれど、離れられない』(朝日新聞出版)から一部を抜粋。引きこもりの息子について相談に来たBさんの事例を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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殴られる母とそれを見る子ども
数年前にカウンセリングにやってきたBさんについて述べよう。61歳の彼女は30歳を迎えた次男の引きこもりで困っていた。それまでも何人かの専門家(精神科医やカウンセラー)を訪れて相談してはいたが、子ども本人が足を運ぶことはなかった。私が会ったとき、ちょっと首が曲がっている印象を受けたのだが、3回目のカウンセリングでそれが夫からのDV(ドメスティック・バイオレンス)の影響によるものだとわかった。
子どもたちが小学校のころ、成績が悪いと夫は子どもたちに激しい体罰を与えた。妻であるBさんにも「口答えをするな!」とDVをふるった。腰を何度も蹴られるのであざが絶えず、腰痛が悪化した。その治療のためにカイロプラクティックに通ったのだが、腰はよくなったのになぜか首が少しだけ曲がってしまったのだ。無資格者による施術だったことが後でわかった。「運が悪いんですね」とBさんは私に向かって軽く笑った。
夫の暴力を語る妻たちは、「手を上げる」「気が短い」などと婉曲に表現することで深刻な雰囲気を避けようとする。時には自分も悪かったんだと夫をかばったりする。暴力をふるわれたことの惨めさ、被害者になることの惨めさを回避したいからなのだろうか。
私はそんな彼女たちの感情を汲みながらも、「それはDVっていうんですよ」と指摘することにしている。それを暴力と定義すること、DVと名づけることからすべては出発するからだ。名づけられて初めて自分が被害を受けていたことを自覚できるのだ。
Bさんは「あ、そうですか、DVっていうんですか」とつぶやきながら、おもむろに手帳にメモした。そして「あれは主人の若気のいたりだったんでしょうね。もうすっかりおとなしくなっちゃって、もう5年くらいは手を上げることもありません」と遠い昔を思い出すように語る。
2000年に制定された児童虐待防止法の第2条4は、2004年に改正された。それによると、子どもがDVを目撃することは「児童に著しい心理的外傷を与える言動」であり、虐待だと定義される。これは大きな意味をもつ改正である。これまでは父が母に暴力や暴言を行使しても、直接子どもに向けられなければ虐待ではないと考えられていたからだ。妻にDVをふるうことは、同時に彼らが子どもを虐待することを意味するようになったのだ。近年では子どもがDVを目撃することによる影響の深刻さが、学術的にも注目されている。