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『聖書』に次ぐベストセラー『老子』の新訳に取り組んだ理由

著者は語る 『現代語訳 老子』(保立道久 訳)

『現代語訳 老子』(保立道久 訳)

 日本史を研究する保立道久さんが『老子』の新訳を発表した。『老子』は紀元前三世紀に成立した中国の古典。宇宙から人間までを貫く理法である道(タオ)に従って生きることを説き、その思想は後に道教を生み出した。なぜ著者は専門外の大業に挑んだのか。

「きっかけは日本の神話を研究し始めたことです。『老子』はそれに大きな影響を与えているので精読したいと思いました。天孫降臨をはじめとして日本神話には火山や地震に触れている部分が多いのですが、それらにも『老子』が影響を及ぼしています。それで解説書を読み始めたのですが、その日本語訳が大きく異なるのに驚きました。『老子』は鎌倉時代の伊勢の神官の必携書でしたし、それを受けた吉田神道でも同じです。親鸞の『善人なおもて往生す、いわんや悪人をや』にも『老子』の影響が見られます。本居宣長は儒教を厳しく批判しましたが、『老子』は神道と似ていると言っています。つまり、『老子』は日本で脈々と読み継がれてきた古典なのです。それなのにこれだけ訳が違うのは要するに大事にされていないのです。中国でも同じようです。これはおかしい。『老子』と神話や神道を合わせて見直す必要があります。『老子』は世界中で読まれていて、『聖書』に次ぐベストセラーですから、私の新訳が世界の人に読まれることを夢想しています。中国も儒教だけで見ると判断を誤ると思います」

ほたてみちひさ/1948年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修了。東京大学史料編纂所元所長。現在、東京大学名誉教授。著書に『歴史のなかの大地動乱』『物語の中世』『平安王朝』などがある。新しい時代区分を提唱し、新しい日本通史を構想中。

 新訳は既成の老子像を刷新している。『老子』は狡猾な処世術にすぎず、体系的な哲学とは言えないという、神話研究で有名な津田左右吉の評価を覆している。

「仏教は意識、儒教は家族道徳を中心に据えていますが、老子は人間の身体と男女のセックスという一番の根っこから詩的な哲学を構築しました。これはぜひ中学生に読ませたいですね」

『老子』は司馬遷の『史記』の記述の影響によって、政治や俗世間を嫌い、隠遁を勧める思想とも言われてきた。

「老子は主に地域の支配層である〈士〉に向けて生き方を説いています。また、社会の代表としての王は必要であり、王を助けるのが〈士〉の役割だと言っています。老子はアナーキストだとも言われますが、むしろ保守主義の立場から激しく直言した人だと思います」

 新訳からは身体から宇宙までを包摂する哲学を展開した一人の思想家がくっきりと浮かび上がってくる。中国哲学の学者からの新解釈に対する応答が待たれる。

『現代語訳 老子』
老子を孔子(紀元前552年~前479年)よりも200年以上後の人物だとする最新の研究を踏まえた上で、『老子』は多数の手で書かれたとする説を否定し、一人が書いた哲学詩だとする。『老子』がテーマごとに配列しなおされ、訳、読み下し文に詳細な解説が付け加えられている。

現代語訳 老子 (ちくま新書)

(著),保立 道久(翻訳)

筑摩書房
2018年8月7日 発売

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