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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

海中で溺死、2歳の子供が急性硬膜下血腫で死亡…7人が惨殺された「北九州監禁連続殺人事件」の事件現場〈逮捕から22年〉

海中で溺死、2歳の子供が急性硬膜下血腫で死亡…7人が惨殺された「北九州監禁連続殺人事件」の事件現場〈逮捕から22年〉

北九州監禁連続殺人事件現場のその後 #1

2024/05/03

genre : ニュース, 社会

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 祥子さんの次女が急性硬膜下血腫で死亡してしまう

(3)横代マンション60×号室

 松永に結婚をほのめかされ、その気になった祥子さんは、彼に勧められるままに自身の3つ子を連れて家出する。そして広田由紀夫さんの仲介によって、彼女名義で8階建てのこのマンションの契約をして、93年4月29日から子供と4人で住んでいた。

 やがて同年8月12日から、この部屋に東篠崎マンションにいた松永と緒方、彼らの長男が移り住む。その際も祥子さんは、緒方が松永の会社の従業員だと思い込んでおり、子供を連れて住むところがないという彼女の同居を了承している。そして玄関脇の6畳を松永の寝室、奥の4畳半は緒方と長男の寝室、奥の6畳を祥子さんと3人の子供の寝室とした。

 ところが10月29日に、祥子さんの2歳の次女が、頭部打撲による急性硬膜下血腫で、搬送先の病院で死亡してしまう。この一件では緒方も警察での聴取を受け、次女は司法解剖に付されたが、事故として処理された。しかし松永らの逮捕後の捜査で、松永が別の女性被害者に対して、彼女の子供の足を持ち、逆さにして頭から落とすふりをして脅した過去が明らかになるなどしたことから、いまでは事故ではなく、松永によって殺害された疑いが強いと見る捜査関係者が多い。

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 現在も横代マンションはそのままの姿で残っている。このマンションがある場所は、北九州市の中心部からやや離れており、松永としては、新たな“金づる”とした祥子さんを騙し続けるため、当初は遠ざけておきたかったのではないかと想像される。祥子さんのいた部屋には、いまは事件について知らない新たな住人が住んでいる。

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

“隠れ家”を探しに向かった別府市で祥子さんが自死

(4)三郎丸ビル40×号室

 横代マンションで祥子さんの次女が死亡したことで、松永らは同マンションを解約した。また、事情聴取を受けた緒方が、東篠崎マンション30×号室の住所を警察に伝えていたため、そちらの部屋も解約する。そして松永らは広田由紀夫さんを通じて、6階建てのこのビルを祥子さんの父親名義で契約。93年11月に移り住んだ。

 住居の引っ越しと同時に、松永は祥子さんに命じて彼女の残る2子を、福岡県久留米市内の託児所に預けさせたうえで、すでに離婚していた祥子さんの元夫に引き取らせた。

 このビルは2DKの間取りだったが、松永と緒方、長男は6畳間に寝て、祥子さんはもう一つの部屋で寝ていたとのこと。

 94年になってから、松永と緒方の関係を疑うようになった祥子さんに対し、本性をあらわした松永は暴力を振るい始め、ときには「ワールド」の従業員たちに行っていた“通電”の虐待を行うようになったという。94年2月になると、祥子さんが元夫や実家に頼み込んで実行されていた送金額が急激に減り始め、3月9日の送金を最後に途絶えてしまう。そのことによって彼女の“金づる”としての役割は終焉を迎えた。