事件化されたものだけで7人が死亡(殺人6件、傷害致死1件)している「北九州監禁連続殺人事件」。
2002年3月、監禁されていた当時17歳の広田清美さん(仮名)が警察に駆け込んだことで、主犯の松永太(死刑囚)とその内縁の妻である緒方純子(受刑者)が、福岡県警に監禁・傷害容疑で逮捕された。以来、彼らによる殺人が次々と明らかになっていく。
死刑囚・松永が北九州市にやってきたワケ
松永と緒方が福岡県北九州市にやってきたのは、1992年10月のこと。
もともと松永は福岡県柳川市で「ワールド」という布団訪問販売会社を経営しており、詐欺的商法を続けていたが、同年8月に破綻。同時期に営んでいた非合法の貸金業でも、貸付相手が飛んでしまったことで、金主の暴力団から預かり運用していた数千万円を、返済できなくなってしまう。
また、同年7月に起こしていた、詐欺事件と暴力行為等処罰に関する法律違反事件についても、警察による捜査が始まっていた(後にそれぞれの容疑で指名手配)。
そうしたことから、「ワールド」に最後まで残っていた従業員の山形康介さん(仮名)を伴って、柳川市から逃亡したのである。彼らはまず石川県七尾市を目指したが、現地の住居に松永が難色を示したことで、すぐに引き返してやってきたのが北九州市だった。
ホテルや旅館を除く16部屋を賃貸契約していた
松永が生まれたのは北九州市なのだが、父親が柳川市の実家へ戻ったことで、小学生時代には柳川市に引っ越している。とはいえ、「ワールド」時代に従業員の実家がある北九州市に支店を出していたこともあり、決して土地鑑がないわけではない。
そうした理由で北九州市に辿り着いた松永と緒方だったが、暴力団や警察の追跡から身を隠すために、正業に就くことはできず、住居を転々とする必要があった。その流れで次々と凶悪犯罪に手を染めていったのである。
松永と緒方の逮捕直後からこの事件の取材をしていた私の知る限りでは、北九州市内で彼らが関係する住居は、ホテルや旅館を除いて12カ所。そのうち1つのマンションでは3部屋を借りていたため、計14部屋ある。さらには名称不明ながら、他に賃貸契約をしていた部屋が2カ所あるとの情報があり、少なくとも16部屋を借りていたようだ。
逮捕から22年が経ったいま、それらの住居はどうなっているのか。情報を得ることができた14部屋すべてを回ってみることにした。※以下、住居名は仮名