2002年1月末に逃走を試みるも、2月中旬に松永太と緒方純子によって、福岡県北九州市小倉北区東篠崎の『東篠崎マンション(仮名)』に連れ戻された広田清美さん(仮名)は、彼らから連日のように通電などの暴行を受け、後の裁判での検察側冒頭陳述によれば〈同日以降の加療に約1カ月間を要する右上腕部打撲傷皮下出血、頚部圧迫創及び右側第一趾爪甲部剥離創〉の傷を負っていた。

 このままでは一生悲惨な状態が続く――。

 その思いが17歳の清美さんに再度の逃走を決意させた。

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祖父の前で「お父さんはこの世にはおらん」と泣き崩れた

 3月6日の未明、清美さんは同市門司区の祖父母宅に電話を入れ、逃げるから助けてほしいと願い出た。この時間は松永が風呂に入っており、電話をかけられたのである。彼女は午前5時過ぎにまた電話するといって、一旦電話を切った。

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「いま逃げ出した。迎えに来て、すぐに」

 続いて祖父母宅に電話があったのは、松永が寝入ったあとの午前6時半頃だ。清美さんは東篠崎マンションから約500メートル離れた仏具店の駐車場に隠れていた。

 迎えに来た祖父母の乗る車に救出された清美さんに対し、祖父は警察に行くことを提案するが、彼女は渋る。そこで、ひとまず祖母だけを門司区の自宅マンションで降ろすと、同区内にある小学校の前に車を停めた。祖父が「なにがあったん?」と問いかけるも、清美さんは押し黙ったままだ。そこで祖父は「ばあちゃんと話しよるんやけど、お父さんはもう、あの世に行っとるんやないやろうか」と呟く。すると俯いていた彼女は涙を流し、「お父さんはこの世にはおらん」と泣き崩れた。

警察に被害届、捜査員約20人が徹夜で情報収集

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 それから彼女は堰を切ったように、父・由紀夫さん(仮名)が死に至った経過を説明した。続いて祖父に伴われて門司警察署に出向いて被害を届け出たところ、管轄となる小倉北警察署に移動することになり、そこで被害申告をした。これにより警察は事件を知ることになり、小倉北署の捜査員約20人が徹夜で情報収集に動いたのである。また、清美さんの身柄は児童相談所で保護されることになった。