過酷な虐待に耐えられなくなった山形さんが逃亡
(1)熊谷アパート20×号室
北九州市にやってきた松永と緒方、山形さんの3人が最初に借りて、92年10月13日から住んでいた2階建て木造アパート。この部屋を不動産会社の社員として仲介したのが、広田清美さんの父親であり、後に最初の殺人事件の被害者となる広田由紀夫さん(仮名)である。
後に福岡地裁小倉支部で開かれた、松永らの裁判での検察側冒頭陳述によれば、このアパートにいるときに、松永は山形さんの頭部を洗車ブラシで何度も殴打するなどの虐待を繰り返したうえ、彼の母親から送金させた現金を生活費に充てていた。
しかし93年1月、山形さんが母親に送金を断られてしまい、松永からより過酷な虐待を受けるようになったことで、このままでは殺されると感じた山形さんは逃走したのだった。なお、松永らは山形さんの逃走を防ぐために、彼の運転免許証を取り上げ、玄関ドアには南京錠をかけていたが、山形さんは二人が寝入った隙を見計らって、南京錠がかけられていた掛け金本体のネジを、ドライバーで外して逃げている。
こうして、山形さんがいなくなったことで生活に窮した松永と緒方は、新たな“金づる”を探すようになるのだ。
現在、この熊谷アパートがあった場所は駐車場となり、建物は存在しない。まわりに細い道しかない古びた住宅街に位置しており、バス停などからも遠いこの場所で、息を潜めて生活していたことを想像させる。周辺の住宅に彼らを記憶している者はいなかった。
生後間もない長男を抱えた緒方とともに、熊谷アパートから転居
(2)東篠崎マンション30×号室
元従業員の山形さんが逃走後、松永は20歳の頃に一時期交際していた、福岡県の筑後地方に住む主婦の末松祥子さん(仮名)に、頻繁に連絡を入れるようになる。姑との折り合いが悪い祥子さんの悩みを聞き、彼女に恋心を蘇らせた松永は、自身との長男の出産を控えた緒方を、経営する会社の従業員だと紹介。困窮する緒方に同情した祥子さんから、出産・育児費用などの名目で、4回に分けて計240万円を入手する。
そして祥子さん名義で、93年4月に9階建てのこのマンションの賃貸契約を結び、生まれたばかりの長男を抱えた緒方とともに、熊谷アパートから転居してきたのである。ここでも物件を仲介したのは広田由紀夫さんだった。なお、松永らはこの東篠崎マンションの70×号室と90×号室も借りているが、そのことについては後述する。
現在、この東篠崎マンションはそのままの姿で残っている。北九州モノレールの駅や大通りからもそう離れてなく、周囲にはオフィスビルがあるなど、利便性は熊谷アパートよりも大幅に良い。そうしたこともあり、いずれの部屋にも新たな住人が住んでいる。