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 3月31日、祥子さんは松永らと新たな“隠れ家”を探しに向かった大分県別府市で、海中に身を投じて溺死した。彼女の死について、大分県警は自殺であると判断している。

 現在、三郎丸ビルはそのままの姿で残っており、祥子さんらがいた部屋には新たな住人が入居している。このビルがあるのは、以前の横代マンションにくらべて、はるかに北九州市の中心部に近い街中。くしくも同ビルからは、後に広田清美さんが通うことになる小学校が近くに見える。

不動産の仲介を続けてきた広田さんを新たな金づる”に

 (5)東篠崎マンション70×号室

 祥子さんの自殺を受けて、松永らは三郎丸ビルを解約し、94年4月から、かねてより松永の知人女性の名義で借りていた同マンション70×号室に移り住む。松永らがこの部屋を確保したのは、30×号室を祥子さん名義で借りたのとほぼ同時期の93年4月であるとされる。

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 捜査関係者によれば、逮捕後の取り調べで松永は「同じマンションの別の部屋を借りたのは、まさかそういうことをしないだろうと、追っ手の目を欺くため」と嘯いていたという。

中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

(6)江南町マンション80×号室

 松永らが祥子さんの次に“金づる”として選んだのは、これまで不動産の仲介を続けてきた広田由紀夫さんだった。松永は由紀夫さんに対して、コンピューターを使った競馬予想会社を一緒に設立しようと持ちかけ、11階建ての同マンションの80×号室を、94年7月に借りさせた。

 当時、由紀夫さんは清美さん(娘)とともに、内縁関係にある女性と北九州市内で同棲していたが、松永がその女性と別れるように唆した結果、由紀夫さんは家出。最初は単身でこのマンションで生活し、翌月からは清美さんも同居するようになった。

 現在も江南町マンションはそのままの姿で存在している。インターホンへの反応はなかったが、北九州市の中心部に近い街中にある、利便性の高い物件であるため、その後、新たな住人が居住したものとみられる。

02年3月に逮捕されるまで借り続けていた

(7)東篠崎マンション90×号室

 前出の(5)70×号室と同じ理由で“隠れ家”とするために、94年8月6日に広田由紀夫さんの仲介で、この部屋の賃貸契約を結んでいる。ここは松永らが02年3月に逮捕されるまで借り続けており、7人が殺害されたマンションと行き来していた。

 この部屋に続いて、松永らはついに7人が殺害された現場となるマンションを借りることになるのだが、そのことについては後編で触れる。