福岡県北九州市で日本の犯罪史上類を見ない凶悪事件が発覚したのは、2002年3月のことだった。逮捕されたのは、松永太(逮捕当時40歳)と内縁の妻である緒方純子(逮捕当時40歳)。
起訴された案件だけで7人が死亡。しかもその方法は、主犯の松永が命じるままに肉親同士で一人ずつ手を下していくという残酷極まりないものだった。
ここでは、ノンフィクション作家・小野一光氏の新刊『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介する。松永が作り出した「死の連鎖」から、ひとりの少女が“勇気ある脱出”を果たすまでの一部始終とは――。(全2回の1回目/続きを読む)
※本文中の松永太と緒方純子以外の固有名詞(建物名を含む)は、すべて仮名です。
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監禁されていた17歳少女
〈少女を監禁し、暴行した容疑で男女を逮捕〉との見出しの載った新聞記事を、出張先の熊本県熊本市で私が目にしたのは、02年3月8日のこと。その内容は、北九州市で17歳の少女をマンションに監禁し、殴ったり首を絞めるなどの暴行を加えていた中年の男女が、3月7日に逮捕されたというものだった。なお、男女は氏名を語っておらず、不詳とある。
私が現地に入った3月9日までの間には、当時は知る由もなかったが、次のようなことが起きていた。まずはそれらについて説明しておきたい。
逃走した少女・広田清美さんは、彼女が小学4年生だった94年10月から、「ミヤザキ」を名乗る松永太と、「モリ」を名乗る緒方純子、さらに翌95年2月からは父親の広田由紀夫さんも含め、北九州市小倉北区片野にある「片野マンション」で同居を始めていた。
祖父母の家に逃走したが…
清美さんはそれから7年3カ月後の02年1月30日に、北九州市門司区にある祖父母宅に逃走を試みるも、2月14日に祖父母宅にやってきた松永に連れ戻され、2月15日から3月6日にかけて、松永らが片野マンションと同時に借りていた、北九州市小倉北区東篠崎にある「東篠崎マンション」の一室に監禁されてしまう。
当時この事件を取材していた福岡県警担当記者は振り返る。