プライベートでも親しかったのが中居だという。小誌カメラマンは独立騒動中にも2人が食事を共にする姿を目撃している。
「棺の中の黒木氏は中居さんから貰って愛用したTシャツを着ていた。2年前から入院していますが、中居さんの温情で『だれかtoなかい』のスタッフロールに名前を連ねている」(同前)
黒木氏の30年来の友人が証言する。
「黒木さんにはもしSMAPが再結成するなら、スマスマを復活させたいという熱い思いがあった。その日が来ることを信じて病気と闘っていました」
死期を悟った黒木氏は「SMAPに会いたい」と
亡くなる約1週間前――。2月上旬、死期を悟った黒木氏は「SMAPに会いたい」と口にしたという。
「中居、草彅、香取の3人は同じ時間に合わせて訪問。一人一人が病室に入り、黒木さんと最後の会話を交わした。仕事のあった稲垣は別の時間帯に面会したそうです」(同前)
だが、木村は……。
「4人との接触を避けるかのように別の日に来た。木村だけ別行動というのが今の5人の関係性をよく表しているのです」(同前)
病室の一件でも浮き彫りになった、4人と木村の深刻な「断絶」。それは通夜でも繰り返された。
通夜開始時刻の午後6時前、木村は、
「そして、明日に向けてだく汗かいてきましたぁ〜! 早めの夕食して、台本へ」
とインスタグラムに投稿し、通夜には現れなかった。木村の知人が明かす。
「都内にいたし、物理的には行けたはず。4人の参列を聞きつけてなのか、映画の撮影を理由に出席を取りやめたそうです」(所属事務所は「相手様もあるお話ですので、コメントは控える」と回答した)
木村は今も単独ライブでSMAPの曲を歌唱
中居と草彅と香取は、入口の案内看板が取り下げられた後も、黒木氏との別れを惜しんで斎場に残り、遺族に寄り添ったという。飯島氏も同席した。3人が去ったのは、式終了から2時間後の午後10時30分を回った頃だった。
「ジャニーズに残る木村にとって独立組が主導する通夜は“アウェイ”になるとみたのかもしれない。木村は今も単独ライブでSMAPの曲を歌うし再結成は拒んでいない。中居との溝が埋まらない以上、彼なりの考えで欠席したのではないか」(同前)
祭壇の最上段には、中居、木村、稲垣、草彅、香取の順で花が並んでいた。それは黒木氏が最期まで願った“SMAP再結成”の瞬間だった。